2013-04-27

2008年02月04日 道はただ一つ この道をゆく 春

2008年02月04日
 道はただ一つ この道をゆく 春        
 
東京が今年2度目の雪の日、京都に日帰りしました。
新幹線は30分遅れだったけど、朝の6時に最寄りの駅にたどりつくまでが
ちょっとスリリングでした(^^;)

「朝早くは大文字山まで雪でしたなあ」とタクシーの運転手の言う京都はすでに小雨模様。
でも、京都支部40周年記念のつどい(「全障研と私たちの活動 過去・現在・未来」)
は熱気でした。

○自立支援法後、ケース検討をみんなでする場がなくなった。
 ”みんなで”子どもたちを見ていく場を
 ちゃんとつくらないといけない。
 実践は、子育ては、一人ではできない。
 一人一人の願い、おもいを
 みんなでもちよることが大切ではないか
 (若い発達相談員)

○月刊誌の「みんなのねがい」。わずか月550円が
若い職員にすすめるのに気が引ける・・・。
 それくらい職員は低賃金。でも7人で読者会開く。
 読んでると仲間の顔が浮かぶ。実践のヒントが得られる。
 制度に仲間をあてはめるのではなく、
 一人一人の願いをみつめることから始めよう!
 (中堅の職員)

○与謝の海養護学校ができる前。親の会で、教師は意見を聞き、
 いっしょに泣いた。話し合うことがとても大事だ。
 いろんなことがわかってくる。与謝の海では、
 校長から用務員まですべての人が職員会議にでて話し合っていた。
 (85歳の元教員)

そして元校長(80歳)の話。
○1955年6月4日京都でヘレン・ケラーの話を聞いた。
 「障害は不便ですが、不幸ではありません」
 「私が不幸であるならば、
  それは私をとりまく社会が不幸にしているのです」

その校長先生からゆずられた黄ばんだ一冊の冊子。
「地方自治と障害者のくらし」(全障研京都支部)

巻頭に、1971年のメーデーに共産、社会とスクラムを組む
蜷川府知事と市長がいる。

 道はただ一つ  
      この道をゆく  春
                 蜷川虎三

次のページは「憲法第25条」。
3頁から「京都の良さと障害者のいきがい」
<憲法を土台にして>
そして、
「自治体は、住民自身が住民自身の力で、
 自分たちのくらしを守る組織」とあった。
40年の時空をこえて、まさに今日的な課題だ。

70年代の統一戦線は、
何を展望し、何をなし、何をなしえなかったのか、
映画や小説などでは70年代論がはじまっているけど、
いま多面的な総括が必要だね。きっと。

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