2013-04-26

2005年12月01日  水戸と早稲田、2つの講演会

2005年12月01日
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 水戸と早稲田、2つの講演会

カテゴリ:世情
昨日、朝は水戸で、夜は早稲田でそれぞれ講演会がありました。
二つの講演会に参加したのは世界でわたしだけだとおもうので(^^;)
以下、雑感をば。

講師は思想家・加藤周一さん。
早大九条の会主催で大隈講堂いっぱいの600名近い講演会。
演題は「2つの学生時代 ー戦争または平和とともにー」

加藤さんは聴衆に向き合いながら一つ一つ思考しながら講演する。
80歳も半ばの年齢故、ぼそぼそっとした感じの声だが、
その言葉にはじつに深みがある。
こういう講演に接したのは、故人となった山住正己さん以来だろか。
静かだが知的好奇心をおおいに刺激される。

わたしは仕事があったので、途中で後ろ髪引かれる思いで退席したが、
会場参加者からよせられた9つの質問の答えがすばらしかったと
カミサンが翌朝語っていた。

わたしが印象に残ったのは
○戦前=あらゆることが戦争の時代、軍隊の時代で何もできなかった。
 しかし、太平洋戦争が始まるまでは、中国での15年戦争があっても
 日常はあたかも平和であるかのように毎日は続いていた。
 →その怖さ
○戦後は2つの時代がある。1968年以前と以後。
 68年以前は学生が政治化された時代。軍産学体制への批判。
 社会的行動となった。
 しかし、パブリックな行動はプライベートではない。
 結果に責任をとらねばならない。
 重大な過ちは暴力。しかし、指摘したことは無意味ではなかった。
 →運動の社会性とその責任の大きさ
 (たとえばそれは当事者主体の自立支援法反対闘争にも言えるのだろう)

カミサンのメモ
○20歳の予備校生の質問
 「現在、日本において民主主義は機能していると思いますか?」
加藤=機能「している」、「していない」両面ある。
 民主主義は、あるかないかというのことではなく、いつも目標として、
 それにむかって社会を少しずつ動かしていく、
 そのために努力したいとおもう到達目標である。
 流動的なものだ。理想的な民主主義にむかって、
 民主主義的な要素に向かってすすむ。
 スイスでも非民主主義的な要素がないわけではない。
 民主主義に向かって歩きましょう。

○「戦争はなぜいけないの?の問いにどう答えますか?」
加藤=戦争は政府により組織された大規模な人殺しだ。人殺しに反対、
 殺されるのも迷惑。
 さらにその「人殺し」は手段であって、いままで「目標」を達成した
 戦争はない。
 戦争は国際紛争を解決するには、非現実的で、おろかで、
 愚劣な手段であるから反対だ。

早稲田はいまイチョウが色づき、夕方5時は真っ暗だけど、
キャンパスの明かりで、じつに思索的な杜になっていた。
kato


 * * *
 
「ブログ見てますよ!」
なんて、嬉しいような恥ずかしいことを言ってくれたのは
水戸での学習会を企画した障害児のお父さん。
「親の会」のみなさんが、自立支援法のことを学びたい
とわたしを招いてくれたのだ。
しかし、上野を発つ特急は事故のため15分遅れ。
結局30分到着は遅れることになった(;_;)
50名近いお母さん、お父さんは
その間ずっと待っていてくれた(恐縮です _(._.)_)

わたしの講演など加藤周一さんと比べようがないけれど
わたしは群馬の「ダンベ」言語文化圏、
茨城もじつに似たイントネーションをもつ(^_-)
そのなせる技だろうか、、、なんともつたない講演でも、
聞いてくれるみなさんの息づかいとが絶妙のハーモニーを奏でられたかな
(それほど、自立支援法の問題は切実であることの裏返しなのだが)

では、好評だった「替え歌」を披露しますね。

「つぐない」 歌・尾辻前厚労大臣 替え歌・金ベエ

 窓に朝日が当たる部屋は
 いつも障害者の声がするわ(大臣室の窓は東向き、日比谷公園が見える)
 
 財務にしばられ、絞ることさえ
 耐えてきたは 許して欲しい(大臣は辞任後インタビューに吐露した)

 応益負担をつぐなえば 未練になるけど
 そんな大臣でも 忘れないでね~

 トイレするにも一割
 外出するにも一割
 明日の「認定」のことなど わからない~

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