2008-08-30

生きる わたしたちの思い


谷川俊太郎の「生きる」という詩は感動的だ。

その「生きる」をきっかけに、ウェブ上の「連詩」が続き、本になった。

母親の指であろう一本のゆびを、ちいさな手がしっかりにぎりしめている。
そんな写真にもひかれて、つい買ってしまった本だけれど、
こいつは、まいった。

なんて、しみじみ、いいんだろう。
なみだがでちゃうな。


「生きる」につづく・・・・

○虫歯のでこぼこを確かめること

○すきなひとの なまえを
 ひなたぼっこしてる のらねこに
 そっと うちあける こと

○多くの人の死を見送るということ
 いつか見送られるその日まで
 
○もみじのようなちいさなてのひらの
 ぬくもりをまもりつづけること
 
どんどん「連詩」はつづいている


角川SSコミュニケーションズ 2008年8月14日発行

2008-08-19

多磨全生園で考えた


ハンセン病は、非常に感染力の弱い「らい菌」による感染症の一種。
感染しても発病することは稀で、現代の生活環境ではほとんど発病しない。
戦争中の1943年にアメリカで治療薬の有効性が確認され、確実に治る病気となった。

でも、すべての患者を強制隔離した「らい予防法」が廃止されたのはつい最近、
1996年(平成8年)のこと。
なぜ、膨大な長い時間、強制隔離政策は続けられたのか。

多磨全生園(たま ぜんしょうえん)を訪ねました。
東京の北西、東村山市青葉町にある総面積35万平方メートルの国立のハンセン病療養施設。
西武球場のある所沢市の東隣。わたしの町の西隣だ。
散歩中の宮崎駿監督と付近のラーメン屋で遭遇したことがある。
(宮崎駿「全生園の灯火」『折り返し点1997~2008』岩波書店は必読のコラム)

正門から入って事務本館、治療棟を抜け、園の中央近い入所者自治会室に会長さんを訪ね、
中央集会所で行われる「障害者・患者9条の会3周年記念シンポ」を打ち合わせた。
9条の会事務局の障都連事務局長の市橋さんが案内役だ。

わたしは10年ほど前、それは見事な大きな桜の木の下のお花見の席に
おじゃませさてもらったことがある。あれから、園の森は変わっていない。

シンポジストのお一人、元自治会長の平沢保治さんが介護体制のあるセンター管理棟で
奥様といっしょに暮らしていると聞いて、おじゃましたが、
あいにく隣の治療棟で治療中とのことですれ違ってしまった。

平沢さんなど80歳をこえた元患者さんの多くは、
戦争が始まる頃、家に踏み込まれ、各地の療養所に強制収容された。
映画「砂の器」の世界だ。

その根拠となる「らい予防法」は、1931年(昭和6年)、満州事変の年に制定されている。
十五年戦争のはじまりの年だ。
掲げられたのは「民族浄化」「終生隔離」「患者撲滅」。
翌32年台湾で、35年朝鮮で同法は公布される。
ヒットラーの思想と共通する、この意味するものは何か。
「予防法」と「戦争」は不可分の関係にある。
そして、この国が行った強制隔離政策が、
ハンセン病患者や家族、関係者への差別、偏見を生んだ。

 ○親やきょうだいと一緒にくらすことができない
 ○実名を名乗れない
 ○結婚しても子どもを産むことが許されない(断種は1992年平成4年まで続いたという)
 ○死んでも故郷の墓に埋葬してもらえない

真夏の太陽は照りつける。
蝉の音はアブラゼミで、まだツクツクボウシではない。
でも森からやさしい風が吹いてくる。

この「人権の森」を会場に、9月6日(土)
(午前の国立ハンセン病資料館ツアーには自治会から語り部さんも同行!)、
障害者・患者9条の会が「人権と平和を考える」記念集会を開く。

少し交通アクセスは悪いですが、ぜひ、おはこびください。
ごいっしょに、人権を考え、平和の決意をこころに刻みましょう!
詳しくは
 http://www.nginet.or.jp/9jo/index.html

2008-08-04

湧き水が流れる川にホタル舞う・・・・


「となりのトトロ」で、サツキとメイがお父さんの帰りを待つバス停の名前覚えてますか?
「前沢」て名前なんですよ。たしか。
じつはわが町名も同じ「まえさわ」。「トトロ」の舞台は昭和30年代の所沢あたりだから、ひょっとするといっしょのところかもねえ

保育と教育の環境がすこぶるよいというので、移り住んで15年近く。
だいぶ田んぼや植木畑は潰されたけど、それでも、湧き水が流れる川にはホタルが舞う町なんです。
「東京」という異常な大都市にありながら、これは誇るべき環境だと思うのです。

ところが、なのに、この町の環境は危機に直面しています。
巨大スーパーのイオンが、かつての銀行グランド跡に巨大モールをつくる計画となり、地域住民やすべての商店会の大反対で2年間ストップさせてきたのだけれど、市民の声を無視、「税収増」を豪語する市長らの強引な誘致によって、イオンは「環境評価書案」を都に提出したのです。

イオンは赤字決算で、国内120店舗ものリストラを決め、アジア進出方針を決めています。
だから、先行でオープンしている「武蔵村山」「日の出」もいまいちなので、
東久留米計画は頓挫かな、などど半ば期待していると、どうも、最近凶暴化してる感じです。

イオン本体は不動産を持たず、土地は管理会社が管理し、建設資金はアメリカの投資ファンドから借りる。半分はテナント収入なのでイオンはリスクを負わず、早急に資金回収できれば、あとは野となれ山となれというのが基本です。
イオンができると地元商店街は消滅し、そしてイオンが撤退すると、そこにはなにもなくなる。
いま、全国各地で展開している地域破壊の方程式です。

先日土曜日、200人の会場いっぱいが駆けつけた「住民説明会」。商工会代表の叫びです。
「”反対!”とかではもうない。”助けてくれ!”という叫びをイオンのトップは受けとめてほしい。
 市長の意見だけ聞いてすすめたら大変なことになる。
 イオンの東久留米出店はあきらめていただきたい!(会場、長く大きくつづく拍手やまず)

しかし、イオンも市長もどんな約束があるのか計り知れないけれど、
ますます凶暴化しています・・・ こまった。

しかし、こうした市民運動は、いままでそんなに挨拶もしなかった人たちが、反対集会を重ねる中で、お互い顔見知りになり、信頼を深め、なんだか急に「地域」を形成しちゃってるこころもちがあります。
負けられません。