2011-11-23

朝の風景

利根川流域の田園風景です(11月13日)。

何十年ぶりでしょう。
数メートル先が見えないような本格的な朝もやの中にいたのは。

ご推察のとおり、一人で暮らす母親のぼやきを聞きにと
帰省して、朝はまじめに散歩していたのです。

ふと、谷川俊太郎の「朝のリレー」を口ずさんでました。

 カムチャッカの若者が きりんの夢を見ているとき
 メキシコの娘は 朝もやの中でバスを待っている



こちらは、17日の水戸・千波湖。
黒い白鳥というか黒鳥=ブラックスワンです。
白鳥グループとは違うところで、水草とか草を食べてました。
白鳥は「渡り鳥」ですが、このブラックスワンは渡らない。
水戸で生まれて水戸でずっと暮らしてる。


そして、11月21日の空です。

陽が昇るころの雲や空の色は一瞬だけど、
毎日変わることを実感します。


  ニューヨークの少女が ほほえみながら寝がえりをうつとき
  ローマの少年は 柱頭を染める朝陽にウインクする


  この地球では いつもどこかで朝がはじまっている
  ぼくらは 朝をリレーするのだ
  経度から経度へと
  そうしていわば 交替で地球を守る


◇◆◇

最近の日本はますます異常だ。
政治も経済も異常ならば、大マスコミはさらに変だよね。

大事なことはよくよく話し合って知恵を出し合い、
自分で、自分たちで決めていくのではなくて、
「先読み」とばかりに、自らすすんで「権力」にすり寄っていく。

きっと戦前ってそうだったんだろな。
大マスコミは戦意高揚をあおり、しかし、敗戦後も反省も総括もない。

「ここらで立ち止まって、暮らしとか自由とか権利とか、そういうところへ立ち返らないと」
ローカル新聞に掲載された菅原文太さんの発言。

いい感じで年をとりたいね。

2011-10-18

10.28JDFフォーラムライブ中継録画

1万人の参加で成功した、10・28JDF大フォーラムの中継映像ダイジェスト。
これから「99%運動」に学んだようなライブ中継の機会が増えそうですね。

2011-10-11

神無月のころ

10月はオクトーバー。
NHK朝ドラの「オクトパス」先生は「蛸」だったけど、語源は「8本の足」。
「オクト」=「8」。
それがなんで10月なのかは暦つくったローマの偉いさんの戯れみたい。

◇◆◇

本屋をのぞくと、「DVD付き 蘇る「ウルトラQ」伝説」
ー総天然色で再現される全28話を一挙掲載ー が目にとまる。
つい、「第1話:ゴメスを倒せ!」を買ってしまった(^^;)
自分にとっては「ウルトラマン」よりも、
その前、この円谷英二監督の特撮シリーズが鮮烈なんだよね。

第11話が「バルンガ」。
こいつは怖いな。
宇宙空間をさまよう謎の風船怪獣。
全長は50センチから、あらゆるエネルギーを吸収し無限に巨大化する。
これって、現在にときを移せば、
子どもたちやおれらの未来をそっちのけで、
利権と権力を「吸収」してどこまで巨大化する「原子力ムラ」て感じかな。

◇◆◇

「利権」と「権力」というのは、「邪悪」を巨大化させるようだ。
わが町は、いま、公立保育園の”民設民営化”で大揺れしてる。
よりによってねらわれた保育園は、わが娘の母校だ。
つぎのホームページを見てほしい。
 http://members2.jcom.home.ne.jp/tunagukai/

地域の「アラウンド55」世代を中心に、
少しでも町をよくしたいとゆるくつながっているのだけれど、
「イオン誘致」も「民設民営」も「市民参加で見直す」と公約した市議を
みんなで市長にした。そこから町はよくなるはずが・・・・
「変節」「裏切り」「居直り」・・・「詐欺」!!
(あれ、どっかの国の与党と似てるか(^^;))
そしてあげくに「”民設民営”はわたしが決めた」とまで言う(ToT)

もう、ほんとになさけなくて、腹立たしいのだけど、
先日9月30日の「説明」会では、
保育園のお母さん、お父さんたち、保育士さんや元園長たちやOB
みんははほんとに情が厚く細やかで、そして、それぞれの言葉で、
なにが大切なことなのか発言してました。
市政は許しがたいけれど、この町に住む人たちはほんと好きだなあ。
先ほどのホームページの「NO13」には、こんな映像もあります

どこかで聞いたことのある声の「高血圧氏」は、激高しながら、訴えています(^^;)

いつも冷静な友人は、彼のブログでこんなふうにコメントしてました。
http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-707.html

「でもね、保育とか教育とか、あるいは福祉や医療だってそうだと思うけど、
個人の努力に任せてはダメなんだよ。一生懸命な人もいるしいい加減な人もいる、
あんた一生懸命な人に当たってよかったね~、っていう問題じゃなくて、
拙ブログでは何度か書いたと思うけど、システムとしてきちんとしなければ
ダメなんだよ。民間というのは究極のところ、儲からなければやめちゃうわけ。
民間ができることは民間にというのは、逆に言えば民間にはできない、
あるいは競争原理や儲けにはそぐわないものがあるんだよね。

もし、他の地域でも、同様のことが起きているなら、これらの発言
(全部で31あります)は非常によい手本になると思いますので、
是非ほかのもご覧ください」

ということで、以下には31のデータがUPされてます
 http://www.youtube.com/watch?v=tYzt5LG54hE&feature=related
(全部見ると3時間半ほどかかりますが) 

◇◆◇

10月は「神無月」。
八百万の神さんたちは出雲へいっちゃうみたいだけど、
障害者戦線は聖地・日比谷に総結集します。

水面下では総合福祉法の制定にむけどろどろの攻防があるなかで、
今年は、10月28日(金)、
わが国を代表するNGOの日本障害者フォーラム(JDF)が主催で、
大連合した1万人集会・パレードがとりくまれます。
 http://www.normanet.ne.jp/~1028/

このJDF大フォーラムを皮切りに、各地での地域フォーラムがつづきます。
3.11を経て、この国の政治と権力の底が見えてしまったなかで、
政治を動かす国民運動の一環として障害者戦線は全力です(^_-)

◇◆◇

そして10月30日には、秋の北欧学習会があります。
どなたでも参加できます。友だち誘って参加してね(^_-)
---
日時 10月30日(日)15時~17時30分(18時~交流会)
会場 明治大学リバティタワー校舎 16階の1165教室
「安心して生まれ、育つために
~フィンランド・ヘルシンキ市の乳幼児支援ネウボラの取り組みに学ぶ~」
講師=ハンネレ・ヌルッカラさん(ヘルシンキ市ネウヴォラと健康推進部門責任者)
参加費=1000円(交流会費用は別途)
主催 NPO法人発達保障研究センター(理事長・品川文雄)  
詳細はチラシ参照  http://www.nginet.or.jp/news/20111030.pdf

もう一つ、みみより情報(^_-)
10月20日発売の岩波新書です。
高谷清さん(小児科医、元びわこ学園園長)
  『重い障害を生きるということ』
これはすごーーく楽しみ(^_-)

2011-09-23

『ユダヤ人を救え! デンマークからスウェーデンへ』


長月の頃、一冊の本がとまらない。

1943年9月29日。 コペンハーゲンのユダヤ教のシナゴーグで早朝の礼拝があった。
「あなた方にお伝えしなければならない重要なお知らせがあります。
昨夜、ドイツ人たちがデンマークのユダヤ人全員を逮捕し、
強制収容所へ移送するため、
コペンハーゲン中のユダヤ人の家を襲撃する計画をたてていると
いう知らせを受け取りました。
状況はきわめて深刻です。我々はただちに行動を起こさなければなりません」

その翌日から11月はじめにかけて、少なくとも300隻の漁船が、
7220人のデンマークのユダヤ人と彼らの家族680人を
スウェーデンに運ぶ秘密の輸送に関わった。

沿岸50か所以上から、1000回の横断が行われたという。
全体で90%以上のデンマークのユダヤ人は
海峡の向こうのスウェーデンに避難所を見出した。

エミー・E・ワーナー 著  池田年穂 訳
『ユダヤ人を救え! デンマークからスウェーデンへ』
水声社 2010年10月
は、その記録から、推理小説をこえる記述で展開する。
自由であること、「ヒュゲリ(愉快で、ゆったりとして、心地よい)」 であることを大切にする人びとの暮らす小さな国は、
1940年4月9日未明に、2時間ばかりでドイツ軍に降伏した。
(交戦によるデンマーク軍の死者13名。海軍はゼロ)

しかし、その日からさまざまな抵抗がはじまった。
占領下で「非合法の」552紙の地下新聞が
2300万部印刷された。

ヒットラーを激怒させたという国王は、
ドイツ兵の最敬礼に応じることはなかった。
ドイツ人が不思議そうに少年に聞いたそうだ。
「この方がデンマーク国王であるとすれば、警護の者はいったいどこにいるのだ?」
少年は誇らしげに答えた。
「私たち国民が一人残らず国王の警護をするんです」

そんなデンマークの1943年。
9月末から10月の第一週にかけて、 ドイツの行動に対して、
コペンハーゲン大学、オーフス大学は抗議の閉鎖。
デンマークすべての教会では抗議の書状が読み上げられた。
そして、学校、療養所、市民病院などがユダヤ人に避難所を提供する。

ユダヤ人は偽名と偽の診断書を与えられ、
さまざまな病院の診療科に 救急車などを使って分けられ、漁船をまった。
子どもたちは、学校で、教師や校長、仲間の生徒から教えられた。

ある校長は言ったそうだ。
「我々は君にまた会いたいとおもっている。
ここはいつでも君の場所があるんだよ。だけど、今は急いだ方がいい」

ある漁村。
魚売りと教師は、ユダヤ人の救助活動によって親友になった。

魚売りは6人の子どもを一人で育てた。
政治には興味が無かったが、 花売りの兄弟から
「僕たちはどこに隠れていいかわからないんです」と言われ、
一瞬もためらうことなく少年たちを連れ帰って、
数日後、快くスウェーデンに連れて行ってくれる漁師を見つけた。
その後、夫人は地下活動の破壊工作員たちも匿い続ける。
1944年12月、彼女はゲシュタポに捕らえられ強制収容所に送られた。

女教師は、ドイツ人がユダヤ人を迫害するまでは
積極的にドイツに反発していたわけではなかった。
後になってなぜユダヤ人を助ける苦労をしょいこんだのか
と尋ねられたとき、彼女はただこのように述べただけだった。
「それが私の義務だと思ったんです」

  ◆◇◆

この人たちは、けっして裏切らない。
当然のこととして絶大な信頼がある。
信頼に足る、大学であり、教会であり、地下新聞だ。
教師であり医師であり警官である。
こうしたレジスタンスの抵抗の歴史も、
現在のデンマーク社会のベースに流れているのだろう。

ドジョウ内閣のもと、日本原子力研究開発機構は、
東電発表の3倍をこえる1.5京ベクレルが
3月21日~4月30日、海に放出されたと発表した。

「放出された」のではない。
「放出して」それを「隠した」のだ。
驚愕の数字とともに、「信頼」のかけらもない、2011年の日本だ。

 ◆◇◆

レジスタンスにとびこみ、
強制収容所に入れられた青年=バンクミケルセンがいた。
彼は、戦後、障害者の親の会の運動をベースに、社会大臣となり、
ノーマラーイゼーション(すべての人に自由と独立を!)を推進していく。
歴史はすべてつながっている。

そして、数週間前、世界経済の大揺れの中でも、
排除ではなく、インクルーシブな社会をめざす政権を
デンマークは選択している。

2011-09-01

ささやかな抵抗

津軽の友人から「りんご便り」が届く。
今年は10年ぶりの花不足。
そんな自然の猛威を受けつつも、深刻なのは震災後、
輸出が風評被害でまったく止まっているとのことだ。

彼のりんご園を訪ねたのはまだ娘が小さかった頃だ。
りんごの樹と土への愛情の深さに、すごく感動した記憶がある。
最近の研究では、りんごは、セシウムの体外排出にも有効とか。
彼のりんごが届く頃、今年の秋がはじまる。

   ◇◆◇

先日アメリカ東部でM5・8の地震があり、原発2基が緊急停止。翌日ペルーでM7。
幸い大きな被害はなかったようだけれど、
太平洋プレートは”ドンブラコッコ”状態のようで、イヤな感じだ。
平積みの「Newton」の別冊は、「「次」に控えるM9超巨大地震」・・・(^^;) 

そんななか、わが家の「節電」は、昨年比33%減を達成した。
けっして”節電”に協力しているわけではない。
東京電力のやり方にささやかに抵抗している感じだ。
なので、わが家の夜は北欧のように暗い。
フィルター掃除したエアコンは28度で扇風機がメイン。
便座は冷え冷え気持ちよく、
冷蔵庫は「いつの?昭和か?」というような冷凍物は大整理した。

ところがどっこいの東京電力。
日本一暑い群馬で一人暮らしをしてるお袋に電話があったのだそうだ。
「お宅は昨年より電力消費が上がっています。節電にご協力を」
気弱になっているお袋は、
「エアコンはやっぱり止めないとだめかねえ・・・」

ほんとに、東電はえげつない!
昨年は病気のオヤジをかかえ、不在のことが多かった。
電力消費の数字をみるだけなら、一人で一日生活している今年のほうが
多いに決まっている。
まったく、人を思いやる、相手を想像することができないのか! 
べらぼうめ!

   ◇◆◇

9月から新聞を変える。

中学生のとき、「読みたい!」と親に頼んで、ずっと読んできた全国紙だ。
しかし、信念というか、原発のない安心できるくらしの展望を
ジャーナリズムとして貫いて欲しかった。
これも、ささやかな抵抗だ。

この新聞の深代惇郎の「天声人語」にはずいぶん影響を受けた。
そこには教養があり、世界があった。
文章には反骨とユーモアがあり、リズムがここちよかった。

「白雲愁色」
 一匹のトンボが夏の終わりを告げるわけでない。
 一片の白雲が秋の到来を知らせるわけでもない。
 しかし、里に下りてきた赤トンボをよく見かけるようになった。
 雲の風情も夕焼け空も、今までとは違う。
 そして高校野球の終わりは、夏の終わりを告げる。
                        (S50年8月22日)

「夕焼け雲」 
 『夜と霧』の一節だ。
 囚人たちは飢えで死ぬか、ガス室に送られて殺されるという
 運命を知っていた。だがそうした極限状況の中でも、
 美しさに感動することを忘れていない。
 
 みんなは黙って、ただ空をながめる。
 息も絶え絶えといった状態にありながら、みんなが感動する。
 数分の沈黙のあと、だれかが他の人に
 「世界って、どうしてこうきれいなんだろう」
 と語りかけるという光景が描かれている。 (S50年9月16日)
               
高校から浪人時代のわたしは、季節も、きっと歴史も、
ある日突然変わるのではなくて、
静かに、しかし確実に変わる。
それをなすのは、生きている人間だと、感じることができた。

あれから35年以上が過ぎた。
80年代のバブルと90年代のその崩壊、そして格差社会拡大のなかでの3・11だ。
いま、一人一人がどんな信念を持ってどう貫くかが問われている。

駐日スウェーデン大使のステファン・ノレーンの言葉。
「スウェーデンの福祉はある日突然できたものではありません。
 1950年代から少しずつ築き上げてきたものなのです」

魯迅の言葉
「希望とは、地上の道のようなものである。
 もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」


 写真 「光が雲が走る夜明けの海」

2011-08-07

手取川の花火

四半世紀ぶりにサークルの同窓会が開かれるので金沢に来ています。

写真好きの先輩を訪ねると、待ってましたと車に乗せられ、
ついた先は手取川を一望できる獅子吼高原のビューポイント(^^)

では、玉ヤー!!

2011-07-08

イタリアは深い

銀座で試写会をみました。
「人生、ここにあり!」
イタリア映画です。

完璧に引き込まれてしまいました。
なんといえばいいか、
こころの琴線にふれたというのか、
自分の人生も重ねて感じちゃって、バスタオルで何度も涙拭いてました。

1978年、イタリアは「バザリア」法によって、精神病院が閉鎖されはじめます。
映画の舞台は、80年代初頭のミラノ。
物語は、有名なトリエステでの実話をベースにしていますが、
芸術の街・ミラノに舞台を据えた理由もわかります。
じつに映像が美しい。
一つ一つのシーンが自然に、違和感なく、それでいてなんとも芸術的なのです。

そして、「深い」と感じるのは映像だけではないんです。
映画の”隠し味”に、まず「自由」がある。
 =収容・隔離して”薬漬け”にするのではなく「自由こそ治療だ」

さらには「連帯」です。
イタリアの社会運動の根底に流れている「協同組合」の思想と実践。
彼ら彼女ら主人公たちの、人と人との連帯の軸は”協同組合180”。

その実践・運動があって、
映画の最終盤、保守派の医師が語った言葉のなかに、
その後のイタリアが、すべての精神病院をなくし、
地域に密着した精神保健センターをつくりあげていく歴史が感じられます。

タイトルの原語は、
 SI PUO FARE(シ プオ・ファーレ)=「大丈夫 できるよ」
なんとも奥深いタイトルです。

わたしのここ数年の作品ベスト1です!

○「人生、ここにあり!」 監督・脚本:ジュリオ・マンフレドニア
 2008年 イタリア
 http://jinsei-koko.com/

○上映予定
7月23日(土)~シネスイッチ銀座、8月中旬:梅田ガーデンシネマ、
以降秋に フォーラム仙台、札幌 シアターキノ、名古屋 名演小劇場
 フォーラム山形、京都シネマ、神戸 元町映画館、フォーラム八戸
 フォーラム盛岡、フォーラム福島、福岡 KBCシネマ

2011-05-15

「他者実現」とともにある「自己実現」

あっというまに時間が過ぎて、月日も過ぎて、季節は変わっていく。
そのとき感じたことは、ケータイの「メモ帳」に、
少し対外的なことを意志したときは「twitter」に
旅などで少しまとまった時間がとれたときは「個人メルマガ」
そして、月に一度はブログで自分の記録にと思ってるけど、なかなかねえ

で、まずは、連休の劔岳の麓で撮ったカモシカの写真を

今年は雪が深かったのですが、カモシカは元気でしたね。 

連休前は、奈良に出没してました。
演題は「発達保障って、全障研ってなに? -世界と日本で考える-」
全障研が今年から総力を挙げてとりくんでいるフリーペーパー「ねがじん」とタイアップした「実践の主体者となるためのステップアップセミナー」、その「講座A」のテーマです。

3.11の後、なにを伝えるか。
大震災の中で、「こどもたちの笑顔を」と自身被災しながらも、学校や施設や地域で、懸命に支えている全障研の仲間たちがいる。
阪神大震災の時も感じた「極限状態の時に、自主的で、献身的で、あったかい、とりくみができる。なにがそうさせるのか?」
そのことを問うことにした。

世界は障害者権利条約実現の大きな流れがある。それはゆるがない。
理念は「インクルージョン(排除しない社会)」だ。
これを「外来語」とはとらえない。
わたしたちの先輩たちは、憐れみの「この子らに世の光を」ではなく、
「この子らを世の光に」、それができる社会をつくろう!と実践した。
そうした糸賀一雄のバトンをつないだ田中昌人(全障研初代委員長)たち。
発達保障は、個人の発達・集団の発達・社会の発達、
それらを統一して実現することとバージョンアップさせていった。

ところで、糸賀が「光」としたものは、
どんなに重い障害があっても、いのちの絶対的価値がある、
それを「光」としながら、さらにそうしたいのちを支える人びと、
「他者実現」とともにある「自己実現」、そこにも同じ「光」があるとした。

「人間の本当の平等と自由は、この光を光としてお互いに認め合うところ
 にはじめて成り立つ」(高谷清『異質の光 -糸賀一雄の魂と思想-』)
と学んだ。

大震災の中での実践も、「他者実現」とともにある「自己実現」。
そうしたたくさんの「光」を、認めあえる社会をつくろう。
わたしはそうした「人生のリレーランナー」の一人でありたい。

というようなことを語りたかったんだよな・・・
と、講演の後は、充分表現できなかったことに落ち込んでしまうけど。

2011-03-26

街の灯り

もどりたった品川駅は北欧の田舎町のように暗い。
数時間前の、眩しく、人のメチャ多かった京都には異国を感じた。
たしかに、駅前のビックカメラにも乾電池は無かったが。

超弩級マグニチュード9の東日本を襲った大地震、
それによる信じられない大津波。
そして、今も続いている最大の人災・原発群の大事故。
被災者・避難民は空前の60万人をこえている。

東京でさえ、ケータイからの不気味な地震速報に怯える日々。
ガソリン求め日に日に伸びる長い渋滞。
いつ起きるかわからない「計画停電」。
いつ途中で止まるかわからない「公共交通」。
この週末からは、放射能汚染の野菜や牛乳・・・
「ただちに健康に影響が出るわけではない」といわれても、
(そのうち影響が出るってことだね)と聞こえてしまう。

3月11日午後2時46分の前と後で、簡単に歴史は変わってしまった。
ペナペナのボール紙でつくったような張りぼての世界にいたことを、
頭はまだ納得していなくても、身体は感じている。
そして、今日の東京は不気味な雨が降っている。

  ◆◆◆

日曜日、夜明け前の法然院から、朝日の中の哲学道を歩いた。
桜にははやく、ミツマタが春の訪れをつげている。











街はまだ眠っている。
みずおと、うぐいすの声。

法然院の貫主はわたしと同い年だ。
彼は、
  「自然と人間の共生」という言い方は止めていただきたい。
  人間は自然の現れです。
  自然とは目に見える生き物のことではなく、
  いのちの支え合いのしくみのことです。
と言う。
そして、
  日々、善悪ではなく損得で生きている私ですが、
  心に余裕のある時には他のいのちが安らかに生きられることを
  願い慈悲を実践したく存じます。

 ◆◆◆

被災地の中で、自分も被災しながらも、
必死で学校を守っている仲間がいる。

なるほど、こどもたちには笑顔が必要だと、
大型紙芝居やカルタをつくる先輩がいる。

過酷な日々の中でも、ユーモアを忘れない彼や彼女がいる。

ついさっき、こんなメールが届いた。
  福島の現地にいると、不安から、テレビとラジオを付けっ放しにして、
  なんとか情報を掴もうと焦ってしまいます。しかし、聴けば聴く程、
  見れば見るほど不安が増幅して行きます。何が本当なのか?
  こうやって送信して頂いているメールがめげてる気持ちを強く!強く!!
  支えてくれています!!!

鹿児島から、京都から、長野、新潟、東京、埼玉と
この半日の間だけでも、ものすごい意志による救援募金運動がすすんでいる。

一つ一つのメールに返事は出せていませんが、手を合わせています。
ありがとう、本当に。
そして、共に、いっしょに、がんばっていきましょう。
 (3月20日夜 TOKYO)

2011-03-01

お互いさま

父を看取った。78歳。

2006年に脳梗塞で倒れ、片マヒに。
「字が書きたい」願いは懸命のリハビリで叶うも、
昨年春頃から衰えがすすみ、
お盆すぎには一人で立ち上がれなくなった。
秋からは、唯一空きのあった介護型療養病院で過ごしていた。

障害者権利条約のドンマッケイ議長は、
「平均寿命70歳を越える国の人々は、平均8年間、
人生の11.5%は障害をもちながら過ごす」と講演した。
日本の場合、そのうちの要介護期間は男1.5年、女3年と聞く。

それは長いのか短いのか。

いずれにしても、誰もが生まれてから死ぬまで、
誰かに支えられ、誰かを支える。
けっして一人ではない「お互いさま」の関係がある。

ところが、介護型病床は13万床からゼロが決定されている。
反対運動で6年延長となったものの、
「高齢者集中型から全世代対応型へ」は社会保障改革の大路線だ。

現在の検討本部室長は、自立支援法審議で
「福祉は買うもの」「それが新しい福祉の考え方」と国会答弁
した中村秀一社会・援護局長(当時)。
高齢者と障害者の問題はここでもつながっている。

障害は「自己責任」。
「トイレに行く、外出するなど日常行為を支援すること」は「益」。
だから「利用料」を払って当然。
扶養は家族に義務がある・・・。

この考えのもとに制定された障害者自立支援法は、
猛烈な反対運動と世論によって否定され、
違憲訴訟団は「基本合意」を政府と交わした。

これは障害者だけでなく高齢者や子育てにもつながる
「福祉の思想」の転換だった。
社会的な困難は、個人や家族の責任ではなく、社会全体で支える。
それは「お互いさま」だからだ。

「人間としての尊厳を深く傷つけたことに対し」
「障害者及びその家族に心から反省の意を表明する」と合意文書。

制度改革推進会議は、この基本合意と権利条約をうけてスタートした。
そして、その第一歩の障害者基本法抜本改正案が大詰めをむかえている。

逆風のなか、
生きることの絶対的価値、
人間の尊厳を守り抜く過去から未来につながる長い道のりを、
私たちは歩んでいる。

PS 写真は、昭和31年頃のオヤジ、お袋、そしてわたし

2011-01-05

2011年1月1日雑感

ふるさとの田んぼ冬景色
年末年始は、オヤジのベッドサイドで本を読んでいました。

クリスマスをすぎた頃、オヤジの熱は40度をこえ、なかなか下がらない。
看護師長は、状態は良くない、尿も良くない、急変することもある、と言ったそうです。
ただでさえ不安いっぱいのお袋は、もう頭がパンクしそうでした。

2006年に脳梗塞で倒れた元鉄道員のオヤジは、片マヒが残り、
楽しんでいた畑仕事はやむなく卒業。
懸命のリハビリで「文字が書きたい」希望は左手でかない、
新聞、雑誌、単行本と読書家で、私の雑文の一番の愛読者でした。
おふくろは一人で在宅での日常を支えていました。
昨年の春頃から衰えがすすみ、秋には二度の緊急入院もあって、
転院先は唯一空きがあった療養型の病院で暮らしているのです。

オヤジは、わたしの帰省の前日ごろから熱が下がりはじめ、
見舞ったときには、血色もだいぶ良くなっていました。
酸素マスクを外すと、「あいたいよお!」とデカイ声で叫びました。

見舞ってなにができるわけでもなく、
左手のひらを少し揉んだり、お気に入りのラジオのチューニングをするくらい
ほとんどの時間は、ベッドサイドで本を読んでいたのです。

それでも、お袋の”アッシーくん”にはなったようだし、
「ここ数日、久しぶりにゆっくり眠れたよ」と言ってましたし、
それぐらいしかできない息子でゴメン。

◇◆◇

大晦日の紅白は”家族の絆”がテーマだったようです。
「トイレの神様」も「ありがとう」もそんな感じでした。

最近、「福祉大国の北欧でも、税金で完全ケアしてくれるのに
老人が孤独を嘆いている」との報道も見聞きします。
「孤独」は、数十年来の北欧の重いテーマです。
でも、「弧立」の「弧」ではなく、「独立」の「独」に視点を移さないと、
”絆”だけでは小さくまとまってしまって、大きな”連帯”にはならない、
この時代の閉塞感は破れないじゃないかな。

母と息子の二人だけの紅白。
オヤジには、ラジオの紅白はどう聞こえていただろう。

◇◆◇

明けて2011年。
テレビはつまらんけど、新聞がつまらん!

朝日、毎日、日経、上毛、赤旗各紙に目を通すも、
朝日社説「今こそ改革を 与野党の妥協しかない」。これにはクラクラした。
「もう財政がもたない」「民主は公約を白紙に」・・・
これはジャーナリズムの敗北宣言をこえて、邪悪化ではないのか。

「ブル新はもう購読しない!」
と宣言していた老教授の顔が浮かんだ。

◇◆◇

そういえば、12月のはじめの頃に
授業のレポートで使うから、と娘からインタビューされた。
「いままでの人生は充実していますか?」
「これからやりたいことは何ですか?」

わたしは、これは正面から答えねばならぬと
妙な使命感を持ってこんなふうに答えたようにおもう。

<いままでの人生は>
充実している。
貧しく無学(歴)ながらも勤勉な父母の努力で、大学教育を受け、
未来の教師を志したが、はじめて挫折した。
縁あって全障研という個人・集団・社会の変革を統一的にすすめる
研究運動に携わった。
その運動を縁の下で支えることを自分の仕事とし、
さまざまな人びとと出会い、支え支えられてきた。
いま、世界と日本の障害者運動の大きな節目に、精一杯挑んでいる。

<これからやりたいことは>
もっと学びたい。
障害者問題も北欧の民主主義も。
でも、時間は無限にはない。
自分だけの希望だけではなく、
きっと自分以外の人たちが自分に求めることとの案配のいいところでの
「やりたいこと」「やらねばならないこと」なんだとおもう。

あなたなら、どう答えますか。