ふるさとの田んぼ冬景色 |
クリスマスをすぎた頃、オヤジの熱は40度をこえ、なかなか下がらない。
看護師長は、状態は良くない、尿も良くない、急変することもある、と言ったそうです。
ただでさえ不安いっぱいのお袋は、もう頭がパンクしそうでした。
2006年に脳梗塞で倒れた元鉄道員のオヤジは、片マヒが残り、
楽しんでいた畑仕事はやむなく卒業。
懸命のリハビリで「文字が書きたい」希望は左手でかない、
新聞、雑誌、単行本と読書家で、私の雑文の一番の愛読者でした。
おふくろは一人で在宅での日常を支えていました。
昨年の春頃から衰えがすすみ、秋には二度の緊急入院もあって、
転院先は唯一空きがあった療養型の病院で暮らしているのです。
オヤジは、わたしの帰省の前日ごろから熱が下がりはじめ、
見舞ったときには、血色もだいぶ良くなっていました。
酸素マスクを外すと、「あいたいよお!」とデカイ声で叫びました。
見舞ってなにができるわけでもなく、
左手のひらを少し揉んだり、お気に入りのラジオのチューニングをするくらい
ほとんどの時間は、ベッドサイドで本を読んでいたのです。
それでも、お袋の”アッシーくん”にはなったようだし、
「ここ数日、久しぶりにゆっくり眠れたよ」と言ってましたし、
それぐらいしかできない息子でゴメン。
◇◆◇
大晦日の紅白は”家族の絆”がテーマだったようです。
「トイレの神様」も「ありがとう」もそんな感じでした。
最近、「福祉大国の北欧でも、税金で完全ケアしてくれるのに
老人が孤独を嘆いている」との報道も見聞きします。
「孤独」は、数十年来の北欧の重いテーマです。
でも、「弧立」の「弧」ではなく、「独立」の「独」に視点を移さないと、
”絆”だけでは小さくまとまってしまって、大きな”連帯”にはならない、
この時代の閉塞感は破れないじゃないかな。
母と息子の二人だけの紅白。
オヤジには、ラジオの紅白はどう聞こえていただろう。
◇◆◇
明けて2011年。
テレビはつまらんけど、新聞がつまらん!
朝日、毎日、日経、上毛、赤旗各紙に目を通すも、
朝日社説「今こそ改革を 与野党の妥協しかない」。これにはクラクラした。
「もう財政がもたない」「民主は公約を白紙に」・・・
これはジャーナリズムの敗北宣言をこえて、邪悪化ではないのか。
「ブル新はもう購読しない!」
と宣言していた老教授の顔が浮かんだ。
◇◆◇
そういえば、12月のはじめの頃に
授業のレポートで使うから、と娘からインタビューされた。
「いままでの人生は充実していますか?」
「これからやりたいことは何ですか?」
わたしは、これは正面から答えねばならぬと
妙な使命感を持ってこんなふうに答えたようにおもう。
<いままでの人生は>
充実している。
貧しく無学(歴)ながらも勤勉な父母の努力で、大学教育を受け、
未来の教師を志したが、はじめて挫折した。
縁あって全障研という個人・集団・社会の変革を統一的にすすめる
研究運動に携わった。
その運動を縁の下で支えることを自分の仕事とし、
さまざまな人びとと出会い、支え支えられてきた。
いま、世界と日本の障害者運動の大きな節目に、精一杯挑んでいる。
<これからやりたいことは>
もっと学びたい。
障害者問題も北欧の民主主義も。
でも、時間は無限にはない。
自分だけの希望だけではなく、
きっと自分以外の人たちが自分に求めることとの案配のいいところでの
「やりたいこと」「やらねばならないこと」なんだとおもう。
あなたなら、どう答えますか。
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