2008-12-28

今年のランダム・ベスト3



なんか9月以前と以後では世界がちがう感じ。
北欧の旅から帰った頃は、
麻生首相誕生で、イヤな感じだったけど、世界経済の大動乱とこの国の政治の無策の複合で(^^;
こんなに資本主義ってもろいの・・・って感じ。
底なし沼に足をつっこんでしまったのか・・・
でも、ぶよぶよの大地も、悪い血を抜いて、しゃっきとしないとね。

さて、以下、今年を私なりに象徴するランダム・ベスト3です。
選考理由は、まったく個人的な理由です(^_^)b
あなたのベスト3は?

◆映画ベスト3
 「光州5・18」:DVDも出ましたが、映画館で見てほしいな。
 「夕凪の街桜の国」:昨年の作品だけど、わたしが見たのは今年なので。麻生久美子がいい!
 「ふるさとをください」:見れば見るほどこの映画は味が出る。

◆ドラマベスト3
 「風のガーデン」:追悼緒形拳さん(;_;) 
 「篤姫」:宮﨑あおいは田中絹代だといった評論家がいたが、それ以上ではないか
 「トップセールス」:NHKは土曜のドラマもけっこうおもしろかった。
 枠外:「風のガーデン」「トップセールス」の主題歌はともに平原綾香。
 アルバム「Path of Independence」はなかなかきかせる

◆BOOKベスト3
 立岡晄「立岡晄 共同作業所のこころと実践」:主役の著者もすごいが、プロデュースがいい(^_^)b
 谷川俊太郎「生きる わたしたちの思い」:こういう本をつくりたいな
 春江一也「プラハの春」:主人公は東久留米の団地に住む外交官。
  続編に「ベルリンの秋」「ウイーンの冬」もあった。

◆地域運動ベスト3
 イオン東久留米ショッピングセンター誘致反対運動、環境アセスに意見書235通提出!
  http://members.jcom.home.ne.jp/kurumeweb/hkaeon.html
 前沢3丁目、アスベスト含有産業廃棄物中間処理施設に対して断固反対の住民運動
  http://members2.jcom.home.ne.jp/tunagukai/
 東久留米の障害者福祉を語る市民のつどいも7回目
  http://members.jcom.home.ne.jp/kurumeweb/

◆サイドワーク・ベスト3
 北欧学游会ツアー(9月、3家族+1家族でスウェーデン、フィンランド9日間)
 フォーラム障害者とICT 2008
  http://www.normanet.ne.jp/~ictjd/ict2008.html
 障害者・患者9条の会 多磨全生園で人権と平和を考えるシンポ
  http://www.nginet.or.jp/9jo/index.html

◆本業・ベスト3
 障害者権利条約批准めぐっての政府との意見交換会
  http://www.nginet.or.jp/box/UN/UN.html
 もうやめようよ!自立支援法10.31全国大フォーラム
  http://www.normanet.ne.jp/~ictjd/1031.html
 自立支援法は憲法違反と司法に問う 自立支援法訴訟
  http://www.normanet.ne.jp/~ictjd/suit/index.html

写真は東久留米駅からみた富士見通りの富士山

2008-12-23

風のガーデンと緒形拳


「篤姫」も最終で、「風のガーデン」も終わってしまうと、
テレビは、イヤなニュースを垂れ流すだけになってしまった。

宮﨑あおいは、ちょっとどこまで化けるか、じつに楽しみだけれど、
緒形拳の人生最後の熱演には、まいった。

先週木曜日の「風のガーデン」最終回。
帰宅は開始1分前(^^;
録画でみるには、何故か、失礼のような気がしたのだ。

中井貴一もよくがんばった。
「硬膜外ブロック」をして、風のガーデンでの娘の結婚式の介添え役を演じるシーンは、
知人のことともダブって、涙がとまらなくなった。

娘のルイ(黒木メイサ)に
「首尾よくおれがそこに行けたなら そっちから君にサインを送るよ・・・なにか君らに」
という最後の場面があって、

床屋で拳さんが
「あいつはジョークを言ったり、いたずらすることが大好きだった」
と顔をくしゃくしゃにして、

そして、翌年の春に咲いたエゾエンゴサクの群生・・・

クランクアップの最終シーンは、
息子の中井を拳さんが看取る長いワンカットだったそうだ。
そのシーンが終わって「OK!」の声がかかったとき、
崩れるように拳さんは座り込み、
「終わったア!」と一言。
そして、何とも云えない笑顔を見せたそうだ。
 (倉本聰『人が最後に還るところ ー倉本聰が伝えたかった想い』

平原綾香の「カンパニュラの恋」をききながら、
自分の死に直面しながら、誰にも言わず、
死と直面する役を演じきった役者魂に、ここから敬意を送りたい。

人間はすごい。

2008-12-14

いつのまにかクリスマス


気がつくと、わが家もいつのまにかクリスマス?
そういえば北欧はルシア祭のころだなあ

雨の日曜日。
さて、原稿も書けずに、
これからご町内の九条の会企画の「憲法を読む会」へ

第2回目の今日は
=平和主義と九条ー東アジアのなかの日本国憲法、平和的生存権について

2008-11-27

S市役所からの謎の電話


 S市役所の市民生活課の**と申しますが、
 Oさんの申請書のことでご確認したいのですが・・・

と、昼時にケータイの留守メモにある。

さて、発信先は09******
これは確かに九州か。

でも、オレ、oさんて知らないよな、
最近物忘れは多いけど、人の名前と声ってオレ忘れないんだよなあ。
でも、そのOさん窓口で困ってるんだろな・・・

で、しばらくしてから、発信先に、事務所から電話した。
しばらくして、いやだいぶコールの後に、
けだるい(ま、あまりてきぱきとしない)声が聞こえる。

 あのー 東京の「金ベエ」と申しますが **さんをお願いします。

すると、そのけだるいおばさまは、
**さん、あれ?いたっけ、そういう人?
なんて周りに聞いてから、おお、まわったまわった**さんだ。

 あのー 先ほどお電話いただいた東京の「金ベエ」と申しますが、**さんですか?

あいては、へ? ぎんばえ? て感じなので、

 あのーー Oさんのことでと言うことでしたが・・・

というと、ようやく**さんも事態を飲み込んだみたい。

 そちらの電話番号を言ってください

というので、

 あのーー そちらがコールした番号は何番ですか?と聞くと

 090**81・・・・

なんだ、番号違いか(^^;

しかし、ケータイの番号っていったいどのエリアの人からかかって来たのか、
ダイヤル番号だけでは、わからないので、
なんだか、推理小説のトリックに使えそうな、昼下がりでした。

で、全然関係ないネタだけど
「芸術新潮」12月号がノルウェー特集。
写真がとってもきれいだなあ。
こころの洗濯になるかも。

ps
写真は、「レインボーブリッジの斜陽」

2008-11-09

秋ふかし


事務所の面している早稲田通りの向かいに郵便局がある。
お互い顔であいさつできる関係の身近な金融機関で、けっこう重宝している。

郵政民営化後(いったいあれはなんだったのだ!)、スタッフは、しゃかりきに、髪ふり乱して働いている感じだ。

先月、別件で窓口に立っていると、
「金ベエさん(あ、これは実名で言われたのですが)、今年も年賀状予約ですよね」
と枚数も聞かれないうちに、去年と同じ枚数を予約させられてしまった(^^;)
(メールで済ます人には減らしてるのになあ・・・)

「年賀状は贈り物です」の静かなCMが流れる中、10.31を越えると、一気に年末が近づきますねえ

あ、谷川俊太郎さんが「世界人権宣言」をわかりやすい言葉にしてるんですね。
ちょっとまた感激(^_^)b

第1条 みんな仲間だ
 わたしたちはみな、生まれながらにして自由です。ひとりひとりがかけがえのない人間であり、その値打ちも同じです。だからたがいによく考え、助けあわねばなりません。

第8条 泣き寝入りはしない
 わたしたちはみな、法律で守られている基本的な権利を、国によって奪われたら、裁判を起こし、その権利をとりもどすことができます。

ps 写真は10.31の新宿大ガードからのアングル(映画「息子」の冒頭シーンはここ)

2008-10-16

この頃涙もろいなあ


気がつけば朝日の夕刊の「ニッポン人脈記」が変わっていて、『おーい 寅さん』がはじまっている。
今日は2回目というので、あわてて昨日の夕刊をさがした。

「男はつらいよ」シリーズで人生を学んでいるわが娘は、第20作「寅次郎頑張れ」を取り出して、風邪でふせっていたはずのカミさんと泣いたり笑ったりしている。
わたしは、昨日の夕刊で泣き、今日の夕刊で泣いている。

10時になると、緒形拳の遺作となったドラマ「風のガーデン」をみる。
「ふぞろいの林檎たち」からあいかわらずダイコンの中井貴一が、この作品ではすごく存在感がある。
ラストシーンに流れる「ノクターン」を歌う歌手・平原綾香もいいが、素人役者の彼女もなかなかだ。

そして、緒形拳。
今夜のセリフは、圧巻だ。
老衰で死んだ犬を抱きしめて眠る障害児の孫(神木くん)に、静かに語りかける。
かなしみは、愛しむ、愛する、大好きなことと同じことばの意味なのだ、
いとしいからかなしい。
生きるものは、必ず死にます。
おじいちゃんも、きみも、姉さんも、
死ぬということは、生きるものは必ず通る道です。

緒形拳も寅さんの渥美清も自分のガンを知りながら、懸命に生きた。
人間って、すごいなあ・・・と思うと、また涙がにじんできた。





 

2008-10-03

10月は政治の嵐の季節


ここのブログにはけっきょくなにも書けなかった9月は怒濤のようにすぎ、障害者・患者9条の会のシンポは大満足だったり、あっというまに52歳になっちゃたし、
北欧に飛ぶ直前には、東久留米で立岡講演会が成功したり、
14日から22日には、いつもながらの駆け足旅だけど、
やっぱ日本を離れるといろいろなことを考えたな。

ぼちぼちと個人メルマガでそのあたりのことは書いてるので
おお!わしにはメルマガ来てないぞ!という人は声をかけてくださいね。
障害のある友人やお父さんお母さんからの感想にはとりわけ考えさせられてますね。

で、オクトーバーがはじまりました。
エンジン120%全開です。

天下の悪法・障害者自立支援法の撤廃めざす10.31全国大フォーラム

司法の場で国民世論のもとに決着をはかろう!の行政訴訟の勝利めざす
障害者自立支援法訴訟の勝利をめざす会

そして、こうした状況を国際条約である障害者権利条約の批准にむけての
国内法の見直しで、なんとかせんとあかんぜよ!という政府との意見交換会
この秋に大詰め。
内閣府、厚労省、文科省とは2ラウンド目の意見交換会が設定されています。
ICT分野でも意見しないと、うやむやになっちゃうしなあ。

そこに、総選挙もやらないうちに二人の首相が政権を投げ出し、
北欧での報道ではまったく注目されていなかった日本の首相にだれぞの孫がなり、
その盟友の超右翼大臣は5日目でくびで、官房長官の事務所費疑惑も発生・・・

そこにメガトン級の世界経済の大混乱。
巨大なマネーが動き回る資本主義はいったい全体どうなっちゃうのか(^^;
巨大な富はますます巨大に、ビンボーはますますビンボーにという動きは加速されるのか・・・

ストックホルムで考えたけど、
軸足を人間の幸福の追求にしっかりとおいて、
激流の世界動向にむかう決意をしめしてほしいぞ。

そんなこんなで、この10月、猛烈な政治の嵐。

ps 写真はストックホルム市図書館

2008-08-30

生きる わたしたちの思い


谷川俊太郎の「生きる」という詩は感動的だ。

その「生きる」をきっかけに、ウェブ上の「連詩」が続き、本になった。

母親の指であろう一本のゆびを、ちいさな手がしっかりにぎりしめている。
そんな写真にもひかれて、つい買ってしまった本だけれど、
こいつは、まいった。

なんて、しみじみ、いいんだろう。
なみだがでちゃうな。


「生きる」につづく・・・・

○虫歯のでこぼこを確かめること

○すきなひとの なまえを
 ひなたぼっこしてる のらねこに
 そっと うちあける こと

○多くの人の死を見送るということ
 いつか見送られるその日まで
 
○もみじのようなちいさなてのひらの
 ぬくもりをまもりつづけること
 
どんどん「連詩」はつづいている


角川SSコミュニケーションズ 2008年8月14日発行

2008-08-19

多磨全生園で考えた


ハンセン病は、非常に感染力の弱い「らい菌」による感染症の一種。
感染しても発病することは稀で、現代の生活環境ではほとんど発病しない。
戦争中の1943年にアメリカで治療薬の有効性が確認され、確実に治る病気となった。

でも、すべての患者を強制隔離した「らい予防法」が廃止されたのはつい最近、
1996年(平成8年)のこと。
なぜ、膨大な長い時間、強制隔離政策は続けられたのか。

多磨全生園(たま ぜんしょうえん)を訪ねました。
東京の北西、東村山市青葉町にある総面積35万平方メートルの国立のハンセン病療養施設。
西武球場のある所沢市の東隣。わたしの町の西隣だ。
散歩中の宮崎駿監督と付近のラーメン屋で遭遇したことがある。
(宮崎駿「全生園の灯火」『折り返し点1997~2008』岩波書店は必読のコラム)

正門から入って事務本館、治療棟を抜け、園の中央近い入所者自治会室に会長さんを訪ね、
中央集会所で行われる「障害者・患者9条の会3周年記念シンポ」を打ち合わせた。
9条の会事務局の障都連事務局長の市橋さんが案内役だ。

わたしは10年ほど前、それは見事な大きな桜の木の下のお花見の席に
おじゃませさてもらったことがある。あれから、園の森は変わっていない。

シンポジストのお一人、元自治会長の平沢保治さんが介護体制のあるセンター管理棟で
奥様といっしょに暮らしていると聞いて、おじゃましたが、
あいにく隣の治療棟で治療中とのことですれ違ってしまった。

平沢さんなど80歳をこえた元患者さんの多くは、
戦争が始まる頃、家に踏み込まれ、各地の療養所に強制収容された。
映画「砂の器」の世界だ。

その根拠となる「らい予防法」は、1931年(昭和6年)、満州事変の年に制定されている。
十五年戦争のはじまりの年だ。
掲げられたのは「民族浄化」「終生隔離」「患者撲滅」。
翌32年台湾で、35年朝鮮で同法は公布される。
ヒットラーの思想と共通する、この意味するものは何か。
「予防法」と「戦争」は不可分の関係にある。
そして、この国が行った強制隔離政策が、
ハンセン病患者や家族、関係者への差別、偏見を生んだ。

 ○親やきょうだいと一緒にくらすことができない
 ○実名を名乗れない
 ○結婚しても子どもを産むことが許されない(断種は1992年平成4年まで続いたという)
 ○死んでも故郷の墓に埋葬してもらえない

真夏の太陽は照りつける。
蝉の音はアブラゼミで、まだツクツクボウシではない。
でも森からやさしい風が吹いてくる。

この「人権の森」を会場に、9月6日(土)
(午前の国立ハンセン病資料館ツアーには自治会から語り部さんも同行!)、
障害者・患者9条の会が「人権と平和を考える」記念集会を開く。

少し交通アクセスは悪いですが、ぜひ、おはこびください。
ごいっしょに、人権を考え、平和の決意をこころに刻みましょう!
詳しくは
 http://www.nginet.or.jp/9jo/index.html

2008-08-04

湧き水が流れる川にホタル舞う・・・・


「となりのトトロ」で、サツキとメイがお父さんの帰りを待つバス停の名前覚えてますか?
「前沢」て名前なんですよ。たしか。
じつはわが町名も同じ「まえさわ」。「トトロ」の舞台は昭和30年代の所沢あたりだから、ひょっとするといっしょのところかもねえ

保育と教育の環境がすこぶるよいというので、移り住んで15年近く。
だいぶ田んぼや植木畑は潰されたけど、それでも、湧き水が流れる川にはホタルが舞う町なんです。
「東京」という異常な大都市にありながら、これは誇るべき環境だと思うのです。

ところが、なのに、この町の環境は危機に直面しています。
巨大スーパーのイオンが、かつての銀行グランド跡に巨大モールをつくる計画となり、地域住民やすべての商店会の大反対で2年間ストップさせてきたのだけれど、市民の声を無視、「税収増」を豪語する市長らの強引な誘致によって、イオンは「環境評価書案」を都に提出したのです。

イオンは赤字決算で、国内120店舗ものリストラを決め、アジア進出方針を決めています。
だから、先行でオープンしている「武蔵村山」「日の出」もいまいちなので、
東久留米計画は頓挫かな、などど半ば期待していると、どうも、最近凶暴化してる感じです。

イオン本体は不動産を持たず、土地は管理会社が管理し、建設資金はアメリカの投資ファンドから借りる。半分はテナント収入なのでイオンはリスクを負わず、早急に資金回収できれば、あとは野となれ山となれというのが基本です。
イオンができると地元商店街は消滅し、そしてイオンが撤退すると、そこにはなにもなくなる。
いま、全国各地で展開している地域破壊の方程式です。

先日土曜日、200人の会場いっぱいが駆けつけた「住民説明会」。商工会代表の叫びです。
「”反対!”とかではもうない。”助けてくれ!”という叫びをイオンのトップは受けとめてほしい。
 市長の意見だけ聞いてすすめたら大変なことになる。
 イオンの東久留米出店はあきらめていただきたい!(会場、長く大きくつづく拍手やまず)

しかし、イオンも市長もどんな約束があるのか計り知れないけれど、
ますます凶暴化しています・・・ こまった。

しかし、こうした市民運動は、いままでそんなに挨拶もしなかった人たちが、反対集会を重ねる中で、お互い顔見知りになり、信頼を深め、なんだか急に「地域」を形成しちゃってるこころもちがあります。
負けられません。

2008-07-30

ヤシカエレクトロ35を知ってますか?


めちゃくちゃ忙しい。
本業の全国大会を2週間後に控えて、年間でもっとも仕事が集中している。
そのうえに、権利条約がらみの意見書づくりや、自立支援法訴訟の情報発信などなど
さらには、すんでる町の市長暴走によるイオン誘致への、地域住民(わたしも)と商工会など市民大連合によるイオン反対運動などなど
いやああ、身の細る間もないとはこのことだ(~_~;
といいつつ、夜中にこんな駄文を書いてるんだから、まだ大丈夫そうだ。

表題(写真)のヤシカ・エレクトロ35は、私が高校生のときにはじめて買ってもらったカメラだ。
京都への修学旅行で、24枚撮りのカラーフィルムを1本だけ入れて、どきどきで写真青年してた。

このカメラが、実家のすみに眠っていたのを偶然発見。
それがけっこう現役で動く(^_^)b

>YASHICA ELECTRO35
>ヤシカの35mm電子制御式レンズシャッターカメラ。1966年発売。
>キャッチフレーズは「ローソク一本の光でも写る」「落としても壊れない」。
そうそう、暗いところが得意で、でも落としたら壊れるよなあ・・・

>エレクトロ35で培った技術は、ヤシカ(現京セラ)によるCONTAXの基盤となった
わたしが大好きだったCINTAXとつらなるわけね・・・運命の糸か・・・なるほどねえ。

2008-07-22

宮崎駿「崖の上のポニョ」のヒューマニズム


宮崎駿が原作・脚本・監督をやむにやまれぬ思いでしなければならなかった映画はとびきり優しい。
「生きててよかった」がメインテーマだが、
そう感じられるためには、たっぷりの愛情が注がれなくてはならないのだ。

トトロのメイは4歳児だった。
今回、さかなの子の「ポニョ」も主人公の宗介も5歳児だ。
「外からの支配」によってでなく、わが「内からの力」として「独立した」判断をしめせるのだ。
だから約束は守る!

この映画、いたるところで、主人公は抱きしめられる。
それは、母であり、ポニョであり、保育所の隣にある高齢者ホームのおばあちゃん。
美しい自然を背景に、人は人の愛情のなかで大人になっていくのだ。
そのごく、あたりまえのことが、そうではなくなっている現代日本への猛烈なカウンターパンチだ。
しかし、映像は、涙が出るほど、かぎなく優しい。

以下、主題歌の一部だけれど、じつに深く哲学的だなあ。
手は「つないじゃお!」のための手なんだねえ・・・しみじみ
---
ポーニョ ポーニョ ポニョ さかなの子
青い海からやってきた

ペータペタ ピョーンピョン
足っていいな かけちゃお!
ニーギニギ ブーンブン
おててはいいな つないじゃお!

2008-07-06

障害者・患者9条の会3周年つどいは多磨全生園

障害者・患者9条の会「人権と平和を考えるつどい」を9月6日(土)に企画している。
 http://www.nginet.or.jp/9jo/index.html
シンポジストは3人だ。

平沢保治さんと初めて会ったのは、20年も前のことだな。
新宿駅の西口に、チリ~ンと鐘の音が響いていた。
その横で、ビラを脇に挟んで、不自由な手で、だけど、じつにあざやかに、
街ゆく人びとに訴えのビラを手渡していた。
わたしもいっしょにビラまきの人になったけれど、
小さな鐘を鳴らしていたのは、もっと不自由なハンセン病回復者の人たちだった。
社会に訴えねば!
静かな鐘の音と気魄のこもったビラ配布は、強烈な印象でこころに残っている。

岩佐幹三さんはイギリス政治史を教えていた。
授業には縁がなかったが、デモや集会ではおみかけした。
先生の苦悩を直接聞いたのは、卒業後これも20年以上もたった後のことだ。
中澤正夫『ヒバクシャの心の傷を追って』(岩波書店)に掲載されて詳細を知ったが、
16歳で被爆した先生は、自宅が燃え、生き埋めになった母親を残して逃げた。
数日後、焼け落ちた自宅の灰の中に、黒く小さな「物体」を見つけ、荼毘にふした。
「母は原爆によってモノのように焼き殺されたのである。(中略)
 母はジュジュ、ジュジュと音を立てながら燃えていった」
寂寞とした心境と自責の念。先生は見聞きしたことの多くは覚えていないのだそうだ。
「火垂の墓の映画をテレビでみていたとき、幼い餓死寸前の兄妹が手を合わせる場面をみて、
 自分のことが二重写しになったのか、思わず慟哭してしまったという」
そしていま、原爆症認定集団訴訟に全力でとりくむ日々だ。

吉川勇一さんは「べ平連」の事務局長だった。
「べ平連」がなんたるかを知らない人は・・・こまったなあ(^^;
そういう私もリアルタイムでは知らないのだけれど、
ウルトラセブンが宇宙からの怪獣を匿って救出する話がある。
あの話は鶴見和子さんらも関わった脱走ベトナム兵救出にとりくんだベ平連がモデルだと知って、
セブン=吉川?、アンヌ隊員=鶴見和子??などと想像したものだ(^_^)
 さて、敗戦の年は14歳。安保反対闘争で退学、平和運動へ。
生活費は予備校講師で稼いだ。その予備校の生徒だったわたし。
教えてもらったはずの英語のことはまったく覚えていないけど、
教養講座・アジア平和紀行の講演、その雰囲気はいまでも覚えている。
その吉川さんは「いい人はガンになる」(著書だけど)。
闘病幾度となく、障害者にも仲間入り。
「民衆を信ぜず、民衆を信じる」は、喜寿にまとめた論考集。

この3人が、国立療養所・多磨全生園で人権と平和について語り合う。
それだけでもわくわくするような歴史的なことではないか!
そして、そこに、わたしと、あなたがいる。そいつはすてきだ!(^_^)b

午前の資料館ツアーには
全生園の語り部のみなさんもご協力いただけるとのことですよ。

2008-06-29

「ふるさとをください」を地域で見る


きょうされん30周年記念映画の「ふるさとをください」の上映会がわたしの町でありました。人口11万ちょっとの町ですが、お母さんたちの力結集で、500人が参加。

試写会は脚本のジェームス三木や主役の大路恵美、ベンガルの取材を兼ねて、しっかりみたのですが、地域で2度目をみるというのは、なるほどそういうことなのか!と感心しました。

この作品、チャップリンやカウリスマキ監督作品のような映画ではなく、なによりもわかりやすさを徹底したものであることはわかっていたつもりでしたが、「くさいセリフだなあ」と感じたところでも、会場のみんなは泣くんです(それを感じたわたしも泣きました。けっこう涙がとまらなくなった)。
「くさいセリフ」と感じたようなことも、底のほうではほとんどが現実なんだよね・・・

スペイン語翻訳版がコスタリカで、英語版がイギリスで2度上映され、それぞれのところで「自分のところも同じだ」という感想があったと聞くけど、この映画、不思議な「共感力」を秘めたパワーある作品だなあとあらためて感じましたね。目標のすべての市町村での上映を応援したいな。

あ、音楽の小六禮次郎は(倍賞さんのダンナね)すごい才能だね。派手でなく、地味でなく、ほどよい音響を映画にしみこませてます。2度目にみると、そんな余裕のコメントも書けます(^_^)b


ところで、土曜の夜は、強引なアスベスト含有の産廃処理工場の開所めぐって反対運動を繰り広げているご町内の会主催の連続学習会の第1回(40人が参加)。

昨年、会社の説明会やら住民集会で、市議会の全会派も巻き込んで、どうしたら、自分たちの住む環境を守ることができるのか、考え合っています。

この日、けっこう年配の町内会長が、「これは住民エゴではない。孫子の問題です」と発言していたのがこころに残りました。ふるさとは、こうして、みんなでつくり、守っていくんだね。

2008-06-25

デジタル化の不安

電話とかインターネット関連の業者と障害者団体がつくる協議会が10年続いている。
古参メンバーはそれぞれ10歳年を重ねたなあとしみじみなのだが、
今日は総務省の担当課長がいたので、
気になっているテレビ放送のデジタル化と障害者の問題について質問してみた。

○デジタル化ではみんなとても不安を感じている。新聞では生活保護世帯にチューナーを配布すると報道されているが、障害者への対応はどう考えているのか?
○ケーブルテレビ利用ならばアナログテレビもそのまま見れるハズだが、そこに手はうたないのか?
○悪質な訪問販売が危惧される。不安に乗じて家庭内に入り込むことになる。対策が必要ではないか?
(悪質な訪問販売の不安は、じつはわが実家のじじばばの不安を代弁したのだ(^^;)

課長曰く
・情報通信審議会の案が了承されたところで、ほぼ新聞報道どおり。 http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/policyreports/joho_tsusin/index.html
・生活保護世帯に最低限度の機器等を無償給付する。
・ケーブルテレビ利用ならばいまのアナログテレビでも見れる。
・訪問販売の悪徳商法については広報を強め、相談体制も整備する。
(あれ?障害者は? ん? 生保世帯でくくっちゃったわけ?(^^;)

すると聴覚障害団体の代表がつっこんだ。
○デジタル化で字幕放送の拡大や義務化を期待しているが、ホテルのテレビ事情はなんとかならないか。デジタルテレビのハズが、字幕受信機能がのぞかれている。テレビは娯楽だけでなく、災害情報など必須。ホテルでなんらかの基準はできないの?

課長
・デジタルテレビでは字幕機能は標準化されている。薄型テレビでもアナログのこともあるが・・・
 (ホテルによってはアナログをケーブルで流しているところもあって、字幕がみれないこともあるとのこと)

結局、この議論、全社協の代表が、「JDFできちっと議論して、デジタル化への要望をしましょう」とまとめました。
素朴な疑問は妙に説得力のある話になることもあるんだねえ

2008-06-15

岩手・宮城内陸地震におもう

14日、朝8時43分の岩手・宮城内陸地震は、震度6強、M7.2これは大きい。

このエリアには知人友人も少なくない。
しばらく電話はつながりませんでした。
が、9時5分に仙台市内に住む友人とケータイメールで連絡がとれました。
 >心配してくれてありがとう。
 >我が家は掛け時計が落ちてきた以外は被害無しです。
 >電話が通じないので県北はどうかわかりません。今も余震が続いています。

これでひとまず一息つきましたが、一番の震源地は奥州市。
昼過ぎに、盛岡市に住む友人に電話がつながり、
盛岡では揺れたが大きな被害は聞いていないとのこと。
「奥州市のHさんとこだよなあ・・・」

しばらくして、電話が入り、奥州市のHさんの自宅に電話が通じて、奥さんと話せた。
本棚から本が落ちて、今かたずけてるところとのことだが、
Hさんは、保育所で怪我人がでたとの連絡が入って、飛び出していきましたとのこと。

阪神大震災のとき、瓦礫の街の学校で陣頭指揮をとっていた先輩たちや
養護学校で子どもたちのいのちを守っていた友人の姿がおもいうかびました。
どんなに困難なときにも、人のためにはたらける、信頼できる人間がいるということ。

夜になって、少し疲れた感じの、でもとてもやさしいHさんの声を
電話で聞くことができて安心しました。
 「いくつかの学校の窓ガラスは割れたが、まず、大事はなかった。
 テレビで見る宮城の栗駒のほうはたいへんだなあ」

2008-06-08

二度目も大泣き映画「夕凪の街 桜の国」

「カミさんは地域で6月に上映会をするのだそうだ」。と旧ブログに書いたが今日はその上映会。年配者が圧倒的に多い中で、わが娘と「息子さんですか?」とまちがわれたわが事務所の大型新人君とともに2度目の感想。

「ちょっと予想外で、完全にひきこまれました。最近のベスト1作品です」と前に書いたけど、今日は、少し冷静にとおもったけど、もうだめ。DVDを一人でみてたとき以上に、涙がとまらなかった。

1958年生まれの佐々部清監督に脱帽するのは、情感迫る映像、ハープの調べに加えて、時間、歴史の連続性のこころ憎い設定。

舞台は昭和33年の広島とそれから50年後の東京と広島。被爆後13年という時間と、それから50年という時間の設定は、被爆時と現在とを連続的なもの、つながっているものとしての感覚をうみます。これがいっきに戦後63年だと、現在と「過去」になってしまって、つながりが感じられなくなっちゃう。それが13年、そして+50年という時間設定で、被爆者と今のわたしとがリアルにつながるんですね。
これは、わたしの確信となりました。

参加者は、あああんなリヤカーあったねえ、そうそうトタン屋根は雨漏りがしてさ、雨が降る軒下でもアリと遊んでた・・・などなど、63年前の広島はなかなかリアルさを感じないけれど50年前のこの国の空気はわがこととして感じられる。

さて映画。昭和33年。「もはや戦後ではなく」、東京タワーは建ち、高度経済成長の前夜。「新しい市民球場ができた」と喜ぶ広島の真ん中を流れる太田川。その川にせり出したバラックの長屋には「不法占領禁止」の立て看板が見える。

防火用水を見ると思わず手を合わせてしまう皆実(麻生久美子)は、母親(藤村志保)と二人で暮らしている。父と妹は被爆直後に亡くなり、疎開していた弟(伊藤充則)は水戸で養子になった。

夕焼けを見た皆実(みなみ)は自問する。「きれいだな。楽しいな」と感じていいんか。「この世におってもいいんかね」。そんな彼女に恋が。「生きててくれてありがとう」と彼は言ってくれた・・・でも、原爆症の発症。

それから50年後。見覚えのある電車と思ったら西武線の「恋ヶ窪」駅だ!定年退職した弟(堺正章)は元気いっぱいの娘の七波(田中麗奈)と小さい頃喘息発作に苦しんだ小児科医の息子(金井勇太)と暮らしている。

ある日、一人ないしょででかけていく父をつけると、七波も広島に行き着いた。そこで祖母(藤村)、伯母(麻生)、そして胎内被曝児で軽い知的障害のあった母(栗田麗)へと思いをめぐらせる・・・

「昭和33年を懐かしく感じられる人も、老いも若きも、同時代に生きているものの感覚で共感が広がります」と書いたけど、会場からはもうすすり泣き続出で、みんな感動。
娘は「今日は予備校でも、なんか気がつくとずっとため息ばっかりしてるんだけど」。会場係をしていたカミさんは、一番後ろの席で号泣していた模様。

この1週間。「一日も早く原告全員の認定を」と原爆認定集団訴訟が「切り捨てから救済へ」と国を大きく変えようとしている。
みんな、「生きててよかった」と歴史に刻みたいのだとおもう。

2008-06-06

ハンガリー1956

早稲田松竹で6日までの上映と知って、仕事が終わると事務所から飛び出してみた。
「君の涙 ドナウに流れ  ハンガリー1956」
 http://www.hungary1956-movie.com/
2007年11月の上映。配給はシネカノンだから、まず外れない。なによりも、1956年はわたしの生まれた年。同時代史を知らねばならない。

あらすじは、1956年10月、ソ連支配下、秘密警察AVOが暗躍するハンガリーの首都ブダペスト。
改革を求め学生運動に身を投じる女子学生ヴィキと、メルボルン・オリンピック出場を目前にした水球チームの花形選手カルチが出会う。
政治に無関心だったカルチも、AVOや軍の横暴に傍観者ではいられなくなる。
同時にヴィキを愛するようになったカルチ。
2週間の闘いでソ連・戦車は一度は引き揚げたかのようだったが・・・
オリンピックでのソ連との水球での壮絶な闘いとブダペストでの市街戦。
またまた2時間ちょっとがあっという間でした。

そういえば5日は、わたしの敬愛する和歌山のひとの84回目のバースデイ。
彼女は17歳のときから、
愛する人を戦場に送り出してしまった軍国女学生だった自分とずっと闘い続けている。
同時代史は壮絶だ。

2008-05-30

『立岡晄 共同作業所のこころと実践』 

5月28日には、きょうされんの全国総会で、こんなアピールをしました。
なんというか、こころからとってもいい本だよ!といいたかったのです。
(その訴えたかった 全文(^^;))
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権利条約をめぐっての動きですが、26日の月曜日、政府(厚労省)との意見交換会が開かれ、NGO側34名が参加。わたしもその一人でした。そのやりとりのなかで、
ある係長がこんなことを言いました。

自立支援法の考え方、理念は「安心して暮らせる社会」。この理念方向は権利条  約の理念と共通している。 (だから)自立支援法の理念の普及、定着が大事

えーー! うそーーー!でしょ。
こういうのを黒を白という、とんでもない議論ですよね。

じゃあ、権利条約の理念はなにか!
じつは私たちのつみあげてきた実践が、その羅針盤ですよね。
その一つの集大成が、この本『立岡晄 共同作業所のこころと実践』なんです!

月刊「みんなのねがい」連載時(2007年度)には、
「一番先に読ませてもらっています」「たいへん励まされます」
と共感の声がたくさん寄せられました。

文章は、具体的でわかりやすく、仲間の顔が見えてくるようで、
その言葉の背景には、とても深い立岡さんの思想と実践があったからなんです。

そして、単行本では4つのバージョンアップをしています!
1)なによりも仲間の姿から実践を語るように再構成し、
 プロカメラマン・豆塚猛さんの写真も多数掲載しました。
2)糸賀一雄、田中昌人さんらにつらなる「福祉の思想」の実践者である立岡さん。
 その盟友・加藤直樹さん(立命館大学名誉教授)との「対談」で、
 実践の位置づけとその意味を研究的にも浮き彫りにしました。
3)きょうされん結成30年の視点から藤井克徳きょうされん常務理事に、
 もう一つの「きょうされん物語」として寄稿してもらった。
4)「この子らを世の光にできる地域づくりを」の原点となった、
 最重度といわれた信明さんとの作業所での日々を「補章」として書き下ろしています。
これらが、何層にもわたって、立岡実践と思想を感動的に表現することに成功しているのです。

毎日が厳しく苦しい時代となっています。
でも、「共同作業所はいのち太らせるところ」と障害のある仲間たちとともに、なによりもその願いに学びながら、 大きな夢を語り、地域に打って出て、まさにマイナスをプラスに変えてきた立岡実践。
そこからは、明日の活動に勇気をもらい、希望を持つことができるのではないでしょうか。

でも、そんな「スーパーマン」でも疲れることも、悩むこともあります。
そんなときは薬師寺の塔を何時間も見上げるのだそうです。

「明日が見えてくるような実践を集団の中でつくりたい。一人ぼっちは絶対だめなんです」
「生まれて来てよかったと言える働く場、暮らす場、憩う場など自立できる地域社会をつくりたい」

私はこの本を担当者として編集できて本当に嬉しいのです。

2008-05-15

ここはどこ?


ここはどこ?
ノーヒントゲーム!

2008-05-13

映画「光州5・18」はすごい!

すごい映画だ。2時間があっという間で、涙をぬぐうことも忘れた。

1980年5月18日から10日間。
韓国・光州市では軍事クーデター政権の下、
民主化を求める学生・市民(20万人を越えるデモ)に対して、
2万5千の軍隊が、一斉射撃、機銃掃射など徹底弾圧を加えた。
死者は2000人ともいわれるが、当局は「市民に被害なし」として、
この事件が政府により公式に「謝罪」されるのは8年後だ。

その圧倒的な事実を下に、
映画は、ささやかな暮らしを営むタクシー運転手の気のいい兄
(キム・サンギョン)と
ソウル大法学部をめざす出来のいい高校生の弟(イ・ジュンギ)の
二人兄弟と、兄が淡い恋心をよせる看護婦(イ・ヨウォン、抜群!)と
退役軍人の父(アン・ソンギ、渋い!)などフツーの市民が主人公だ。

5月のある日から、戒厳令に反発しデモに参加した弟は狙撃され、
ノンポリの兄は銃をとり市民軍に参加する。
そこで彼女と市民軍の代表となった父と共に闘う。
彼女はラスト近くで夜明け前の街で訴える。
「私たちを忘れないでください。私たちは最後まで戦うつもりです」

80年の5月、自分は北陸の街で何をしていたろうか。
同じ頃に隣の国で、こうしたすさまじい事件が起こっていた・・・

すごい!とあらためて思ったのは、監督は71年生まれ。
彼自身が知らないことを自覚し、今とつなぐことに努力したこと。
そして、その作品は740万の圧倒的な韓国の人たちが見たということだ。
それと、巻き込まれ撲殺された知的障害者や
行方不明になった息子を捜し続ける目の不自由な母など、さりげなく織り込んでいたこと。

ラストは・・・ 嗚咽をこらえるだけだった・・・
私は忘れない!

5月10日より新宿ガーデンシネマ(スロープないぞ!)、シネカノン有楽町など

2008-05-12

わけあって引っ越しました


新ブログを開設しました。

シンプル・イズ・ベストのわたしのライフスタイルに似たブログってことで
よろしくおつきあいください。

昔のブログは、書き込みはできないように設定し
(そしたらみなさんからの貴重な書き込みも読めなくなってしまいましたが(;_;))
しばらく閲覧可能としたいとおもいます。

写真は、5月4日の剱岳です。

2008-05-10

わたしのふるさと -沼は消えた-

わたしの故郷は、利根川と渡良瀬川に挟まれた、
小さな湖沼の多いところだ。

からっ風のふくなか、川や沼に漁にでて、
ふなを捕り、なまずをとって貴重なタンパク源にした。
その名残りが田山花袋の小説『田舎教師』に
川向こうの板倉沼でとれた雑魚を漁師が売り歩いてくる
という場面がある。
足尾の鉱毒で有名な田中正造の旧谷中村(現在・渡良瀬川遊水池)はその東北部に接している。

友人がC型肝炎でふせっていると聞いて、5年ぶりぐらいに彼の家を訪ねた。
彼の家は、小さな沼のほとりの一軒家だった。

高校の頃、彼の家によく仲間があつまり、
隣の家を気にすることなく、わいわい語り合ったものだ。
夏は沼をわたってくる風がここちよかった。
その沼が消えていた。

彼のいうことには、その沼の地権者がある日その沼を売った。
するとある日からどこから来たのかわからないダンプカーがあふれ、
産業廃棄物らしものを捨て、沼を埋め始めた。
彼の家の隣の沼はあっというまもなく埋め立てられ、
北側の隅のみがまだ沼であったことを示していた。

沼を渡ってきた風は二度と吹かず、カエルのなく声も、
釣り糸をたれればとれた魚も、いまはいない。
それだけでなく、どこから運び込まれたかもわからず、
どんな内容かも知らされない産業廃棄物が、
ある日から、家の隣に埋められ、
それは時とともに地中にしみこみはじめる。

彼の娘は春に3キロ北の小学校に入学する。
入学者は20人で一学級だという。
通学路には、2年後の開校めざして
某私立大学の大工事が本格的にはじまり、
数十台のダンプが走り回る。

そのわきを、頭に小さなヘルメット、
学校指定のおきまりの揃いのジャージを来て、
赤いランドセルが歩いていく。
(1994年1月4日)