2010-12-01

国会前 障害者自立支援法「復活」法案を許さない

11月中ごろから衆議院、そしていま参議院で、障害者自立支援法「改正」法案(実質「延命」「復活」ねらい)めぐって激しい攻防のさなかにいます。
10.29には日比谷に1万人がつどって反対しましたが、
会期末の12月3日まで、廃案を求める運動は連日とりくまれます。

この国では、必死に声を上げないと、いったい全体どうなってしまうかわからない。
国会はダッチロール状態です。

2010-10-07

北欧を旅してました

9月末から10日間ほど、任務で北欧のデンマーク、スウェーデン、フィンランドの障害者、高齢者の地域福祉とインクルージョンの実態把握で旅してました。
私たちの行くところすべて晴天で、北の国々の駆け足の秋を満喫して、
こころの深呼吸もしてきました。
きっとクリスマスまで元気です
ヘルシンキ大聖堂前広場
ストックホルム市営森の教会墓地

ストックホルム市庁舎

2010-08-30

夏がゆく

8月はなにも書かないうちに過ぎていくのもなんなので
写真を2枚(^_-)

行く夏と

  
高原はもう秋です


そして、9月4日はJD結成30周年記念シンポジウムへ
 http://www.jdnet.gr.jp/news/2010/07/symposium.htm
ぜひ、お越しください。

秋からの障害者運動にとりくむ方は、必参加ですよ!(^_-)

2010-07-21

9月4日JD結成30周年記念シンポは注目!

このシンポ、すごいです。
秋からの激動のかつ複雑な情勢が、ずばり、わかりやすく明らかになります!
この企画自分だけにとどめず、多くの人に教えてあげてくださいね(^_-)
この時代に参加費無料とは、JDは太っ腹です!

----------ここから原文----------
時代の要請に大きく寄与すべく、
JDもこの国際障害者年日本推進協議会(IYDP推進協)の創設から今年で30周年、
来年の国際障害者年スタートから30周年のこの機会に、
幅広い市民を対象とした公開講座を添付チラシの内容で企画いたしました。

日本障害者協議会(JD)結成30周年記念 公開市民シンポジウム
 すべての人の社会へ
 ー国際障害者年から障害者権利条約実現への歴史・情勢・人間に学ぶー
日時  2010年 9月4日(土) 午後2時~5時
会場 日本社会事業大学 清瀬キャンパス B101 手話通訳付き
   ※西武池袋(有楽町)線「清瀬」駅南口よりバス6分『日本社会事業大学前』下車
先着 300名・入場無料

あいさつ:勝又和夫(JD代表)
コーディネーター:佐藤久夫(日本社会事業大学教授)
シンポジスト: 尾上浩二(DPI日本会議事務局長)
        森本美紀(朝日新聞記者)
        藤井克徳(JD常務理事)

これに引き続き
 10月30日(土):障害とはなにか
 11月13日(土):自立とはなにか
 11月27日(土):世界潮流(ノーマライゼーション・インクルージョン)
 12月11日(土):障害者運動と提言
のテーマで、
日本社会事業大学文京キャンパスで公開市民連続講座(全4回)を開催します。

この9月4日(土)の清瀬キャンパスでのシンポジウムは、
そのプレセッションとも位置づけられるものです。

当日参加もちろん大歓迎ですが準備の都合もあり、
事前に参加者氏名・人数等JD事務局にお知らせいただきますと大変しあわせです。

  日本障害者協議会事務局
  Tel:03-5287-2346 fax:03-5287-2347 E-mail office@jdnet.gr.jp

2010-06-13

弔辞(恩師へ)

先生は、イデオロギーに走りがちなヤンチャな私のことを気にかけてくれた。
あるとき研究室の本棚の一番上の左のすみに「近藤益雄著作集」全8巻を見つけた。

「へー。実験屋の先生が「えきお」を読むんですね」と言ったら、
「そう、研究違いの僕のところに、益雄を卒論でやりたいという困った学生がいてさ、
 指導しないといけないから読んだよ。ぼくも!」
私は、恥ずかしくて、ありがたくて、とても嬉しかったことを忘れない。

「いまの仕事は本当に君がやるべき仕事なのか?」
3年、7年、10年の節目に言ってくれた言葉だ。
でも、20年をこえた頃、
「後輩の未来の教師たちに、こんなことを一生懸命やっている先輩もいることを教えてくれと」
と非常勤講師で勉強させてもらった。

先生も「吹奏楽部」だったと聞いたことがある。
ホルンを吹く当時中学生だった私の娘の金沢への「はじめての一人旅」の日、
ソワソワする私を見かねて、先生は金沢駅の改札口でいっしょに待っていてくれた。

その娘が「福祉を学びたい」と大学生になった。
カミサンと3人で研究室を訪ねたとき、
先生は、優しい顔で、とても嬉しそうだった。
「早く子離れをしないと」と眼鏡の奥の目が笑ってた。

50歳をこえて、今こころから思える。
自分が何をなすべきか。
自分の使命をはたすことが、自分がやるべき仕事なんだと。

先生、いまなら、先生の授業、先生の思想、本当によく学べると思うのです。

 だれかが行かねば道はできない。
 そして、みんなが歩いて、道は開ける と  


◆片桐和雄先生。
  金沢大学教授(3月まで人間社会学域長)。
  重度脳障害児の認知に関する発達神経心理学的研究の日本を代表する研究者。
  2010年6月6日、病気のため死去。63歳。

2010-05-05

桜と雪の剱岳

連休は渋滞の中を、恒例のJIJI+BABA孝行。

1)座禅桜に剱岳は桜が遅れた今年だからみれた










2)剱はまだ雪山
3)雪渓をバックにカタクリは咲く










4)芦峅寺の里のもみじ
5)芦峅寺雄山神社で見つけた可憐な花。名前を誰か知りませんか?

2010-05-01

高知の緑のガーデン

最近のブログはほとんど写真集だけど、まあ、そういうことで(^_-)

4月末に高知を旅した。
1)高知市の隣にある清流・仁淀川(四万十川に比べると知名度は低いが水質は上)










2)桂浜に近い五台山にある県立牧野植物園はワールドクラス(^_-)
 まるでモネの絵のように










3)植物園内は市民の憩いの場だ

4)色あざやか

5)山の向こうには太平洋が広がる

6)アザミとツツジ競演

7)ということで牧野植物園はちょっとおすすめ(^_-)

2010-04-18

新緑はきれいだな

久しぶりの完全休日なので、近くの雑木林をそぞろ歩き。
昨日は四月の雪で寒かったけど、
今朝の風は新緑の風だったな。












2010-03-27

京都は春

仕事帰りに京都を散策した。
偶然の着物ショーには中国のみなさんが強烈な視線。
雨模様の嵯峨野は緑が美しかった。

2010-03-14

『ユニバーサルデザインのちから 社会人のためのUD入門』のちから

20XP年12月10日、ノーベル文学賞をストックホルムのコンサートホールで授賞されたさえら女史は、umeさん運転するリムジンで、
メーラレン湖畔にあるストックホルム市庁舎・青の広間での祝賀晩餐会に到着した。

ちなみに、受賞したのは「兼六園内にある日本武尊の銅像にハトが寄り付かないことをヒントに、カラス除けの合金を開発した」某教授のような「イグ・ノーベル賞」ではないもよう。

スウェーデン・アカデミーは、その選考過程において
『ユニバーサルデザインのちから 社会人のためのUD入門』
『スローなユビキタスライフ』
『「誰でも社会」へ』
『パソコンボランティア』など
変幻自在の文章とひとを巧みな話術で操りながら、なんだかんだと少なくないこころある人たちを
ユニバーサルデザインの思想と実践の世界にひきづりこんだそのエネルギッシュな行動力と作品が高く評価されたことを表明している。
一部に「平和賞」の声もあったが、最近その賞の評価が下がりつつあるので、ここは「文学賞」をとのことであったようだ。

晩餐会会場では、カール16世グスタフ王の隣に、ハイカラさんが通るルックでひときわ目立つさえら女史は、ネット中継を見ているグスタフ王のパソコン操作をしきりに気にしている。

さて、2010年の「出版記念会」に、体調を崩し、参加できなかったことを悔やんでいた金ベエ老人は、20年ものの友人として、つぎのような受賞のお祝いのスピーチをした。以下、採録(^^;)

さえらさん!
本当におめでとう。
わしは、ほんとにうれしい。

とりわけ『ユニバーサルデザインのちから 社会人のためのUD入門』
あれは・・・つい降りる駅を乗り過ごすところだった、それくらい、じんわり、おもしろい。
前半は映画化しよう!

新人社員柚衣には九州女の蒼井優、笠井くんの人選はさておき、
脇は「釣りバカ」の脇役たちでかためる。
難問は片岡さん役だが・・・まあ、多少減量すればわしでもいいか(^^;)
監督は、最近、京都の学生たちが山田洋次監督の指導で
初々しい恋の映画「京都太秦物語」をつくったが、あの若者たちがいいなあ。

前半の映画化は決定したとして、問題は後半だ。

筆者はUDの旗手なんだけど、わしはバリア・フリーに運動論的軸足があるんよ。
80年代から90年代の、国際障害者年以降の障害者運動の大きな実践思想はバリア・フリーじゃ。
でも、国際的にバブルは弾け、北欧は、教育とITにアクセルを踏んで活路を見いだしたけど、
この国は・・・その背中も見えないほど離れる中での先のグローバル恐慌勃発だ。

すべての価値が「安い」ことに流れる中で、当事者にかぎりなくこころを寄せれば、
バリア・フリーもUDも、どちらか一つでなく、
どちらもともに権利として主張していいのではないだろうか。

当事者戦線からは、必要なものは必要なんだ、あれかこれかではなく、あれもこれも求めていい。
そんなことを最近富に感じている。
ゆがんだこの国のものの価値観を、根底から変えないと、
わしらほんとに安心して年とれないぞね。

だから、ありがとね。
UDの星は、いままでも、これからも、ずっと輝いててな。

(以上はフィクションです)

2010-03-08

山澤清さんの軌跡(追悼集)

山澤清さんは2009年10月6日に郷里の松山で亡くなられた。享年72歳。

道後温泉の酒屋さんで次男として生まれ、
生後五か月頃、日本脳炎に罹患し、四肢不随意運動性脳性マヒとなった。
法政大学哲学科で乾孝、谷川徹三に学び
早稲田大学で心理学修士を、東京教育大学で肢体不自由教育の博士課程を学び、
78年からは家業を手伝いながら愛媛大学で研究生、聴講生として
研究活動を継続した。

愛媛大学の渡辺弘純さんがまとめた「追悼集」には
31名のなかまが「思い出の記」を寄せている。

わたしもつぎの一文を寄せたが、
山澤さんの障害の原因が日本脳炎に罹患したことからだったことを
はじめて知った。
小さい頃、わたしの3つ下の妹は、その病で亡くなっている。

---
5月が終わる頃になると、山澤さんからメールが届いた。

「四国・道後に住んでいる,山澤清です.ご無沙汰しております.

 東京医科歯科大学歯学部付属病院障害者歯科外来で私は,
 また歯の診療をしていただくなどのために,上京いたします.

 歯の診療を受けた後でないと,今度の私の上京中の予定が分かりません.
 今度の私の上京中も,あなたはお忙しいし,私もあわただしいので,
 お会いする機会がないかもしれません.上京しましたら,
 全障研事務局にお電話をさし上げます.その時に,
 お声だけでもお聞かせください.

 では,上京しましたときに.
         山澤 清 Kiyoshi YAMAZAWA」

そして、山澤さんは、ニコッと満面の笑顔で全障研の事務所を訪ねてくれた。
もちろん、お土産はかかさない。
だいぶ前は「坊ちゃん団子」だったが、いつの年からか、
わたしが美味しい!と言ったからか、「しょうゆ餅」が定番になった。

いつもにこやかだった山澤さんが、厳しく意見をくれたのは、
障害のある人とICT(情報通信技術)関連の
わたしの論文や著作を読んでくれたときのことだ。
研究論文に対する姿勢は、どこまで「追求の徒」だった。

2009年の晩秋、
わたしは山澤さんがすでにいないことも知らずに、松山にいた。
全障研や障全協、きょうされんの四国各県のメンバーなど
80名の集った交流集会があり、突然のピンチヒッターで
「障害者自立支援法と障害者権利条約 北欧と日本 やさしい社会の条件」
を講演していた。

集会後、はじめての道後温泉。
風呂上がりの一杯のお茶と一串の「坊ちゃん団子」。
そして「坊ちゃんの間」から見える柳がゆれて、
時間がゆったりと流れていた。

山澤さん。
しょうゆ餅食べながら、ゆったりともっと語り合いたかった。

”だんだん”

2010-02-05

読書ノート



「仕事は忙しい人間にやってくる」のだそうだ(^^;)
とはいえ、読書でこころに残ったことを記録しておくのもだいじかな、と

■重松清『十字架』 講談社 2009年12月14日

 > 毎日新聞1月18日「本の現場」欄に重松清登場。
 > 新作『十字架』はストックホルム郊外のかの「森の墓地」を
 > モチーフにしているとのこと。
 > いじめを苦にして自殺する中学校2年生俊介が想像する旅の最後の地が
 > そこだったというわけ。
と北海道の友人が知らせてくれた。

わたしは群馬県人の端くれで、きわめて「へそ曲がり」。
新しものは大好きなくせに、人が先んじると見向きもしない・・・こまったもんだ。
だから「重松清」も見向きもしなかった(^^;)
でも、「森の墓地」が書かれているのならば読まねばならぬ、と読み始めたら・・・
10数ページで重松ワールドの虜になった。

重い話だ。生きることはつらい。
重たい荷物を背負っているんじゃなくて、重たい荷物と一つになって歩いているんだ。
しかし重松ワールドのリアルな空気感はたいしたもので、
わたしは主人公といっしょに悲しみ、怯え、泣いて、初恋にドキドキした。

そして、
 : かすかな風が吹く。空が語りかけた。言葉はない。ただ涼やかな風が、
 : あのひとの背中をいたわるように撫でていく
に、次の光景がよみがえった。 

 > 「風にゆれて葉っぱが鳴ってる」
 > アスプルンドの設計で世界遺産でもあるストックホルムの市営「森の墓地」で
 > カミさんが言った。

 > ヤマナラシ(山鳴し:ポプラの一種)の樹だ。
 > 「森の礼拝堂」に向かう道に並んで、鳴っている。
 > 空は濃い蒼色。北欧にはめずらしい快晴だ。

森の墓地、人生のリレーを感じた場所。


■花田春兆(俳人)『鬼が笑う 月が泣く ー「うたの森」に谺する詩・短歌・俳句』
角川学芸出版 2010年1月21日

”天の邪鬼”というのはこの人のことだ。
「鬼哭」といわれるように古来中国の鬼は哭くのだ。だけど、このJIさまは
「一転、変身して笑ってしまう」「ケチな笑いではない」「もっと明るく爛漫な笑いだ」という。

この本に収められたすべての作品に出会ってほしい。
なによりもそれぞれから感じるのは、いのちの圧倒的な迫力だ。
そして、このJI鬼の「解説」が見事なスパイスとなっている。

 「粉雪」は、満州に生まれた脳性マヒ者の作品で、
 「ねえ、母さん、あの雪をとってきて・・・」とせがんだおもいを綴る。
  ほとんど寝たきり状態で 外出するようになったのは「ひまわり号」運動がキッカケという。

  その作品に子規の「いくたびも雪の深さを尋ねけり」をひきながら、
  外に出て触ることのできない病気や障害をもつ者、特に子どもが抱く雪への
  たとえようもなく強い好奇心や憧れと重ねる。

  全障研愛知支部の重鎮だった新堂廣志さんの句
     歌詠みは病人が多いよと言う君にわれもうべなう常臥なれば
 

■社会福祉法人大木会編
『ロビンフッドたちの青春 ーある知的障がい者施設・30周年の演劇実践記録』
中川書店 2009年10月24日

滋賀の石部にあるあざみ寮・もみじ寮の寮生劇は、ぜひ見てみたいと念じていたが、
30年の記録として友人の石原繁野(前あざみ寮施設長)さんから送っていただいた。
結婚を祝うつどいに参加してくれた友人への贈り物として「あざみ織り」を届けてもらってから、
石原さんとはそれ以来のおつきあいだ。20年以上になる。

寮は、ほぼ5年ごとに大規模な演劇にとりくんできた。
実践記録は402ページにおよぶ膨大なものだが、長さは感じない。
とりわけ、脚本家・演出家の秋浜悟史さんと
発達心理学者の田中昌人さん(全障研初代委員長)の上演会ごとの長い挨拶文と
座談会「ロビンフッドの冒険の冒険」を振り返っては、
じつにおもしろく、さまざまな示唆があふれている。

田中昌人曰く
 「人間は発達していく上で自分を変えていく力を生み出していくわけです。
  これまで乗り越えることのできなかったことを成し遂げ、
  新鮮な気持ちの流れをつくっていく、そのことを通じて、改めて自分をとらえ直し、
  内面を豊かにしていくバイパスをつくる。
  このバイパスをもつことによって、手をつないで育ちあう自制心が育つ」

つい感動のあまり吹聴したものだから、わが事務所のスタッフ全員が
この本を「共同購入」してしまった(^_-)

演劇をするに際してロビンフッドがいい!と言ったのは糸賀一雄夫人の房さんだそうだ。
民衆の味方であるロビンフッドはイギリスに伝わる国民伝説物語。

ラストシーン
 森の仲間たちは、ロビンを助けるために、そして城に火を放つために、
 わざとつかまってどんどんお城に入っていきます。
 やがて、戦火もおさまり敵も味方も一人ひとりがこう思います。

  「みんながロビンフッドになればいいのだ」

  「みんながロビンフッドになりさえすれば世の中は変わってゆくのだ」

2010-01-05

2010年1月1日に思ったこと


日本海の海辺に「能生(のう)」という駅がある。
富山は一晩で町中でも50センチをこえる大雪だった。
東京にむかう列車は、わたしたちの乗った次の便からはすべて運休で、
ホームには怒りよりもあきらめとなぐさめに近いような雰囲気があった。

でも、その特急列車も止まっている。
大雪にはけっこう強い列車も、大風には弱い。
シベリアから吹いてくる激しい風の弱まるのを待って、まず90分の遅れだ。
そして、ラッセル車の除雪を待ったり、結局、上越新幹線に接続する越後湯沢駅では4時間遅れ。
乗り換えには、お土産を両手に走るしかない!
(それと2時間以上の特急の遅延証明を取っておかねば(^^;))

あれ? カミサンがいない! と後ろを見ると、
ゆるりと「柿の種」を買っている(「だって、ここのが一番おいしいんだもの」)
かくして、2010年は、はじまりました。

   ○●○

年の暮れの29日は、赤坂で午後2時から9時過ぎまで会議でした。
障害者自立支援法訴訟は政府より異例の「協議」が秋に申し入れられ、
ツメにツメたハードな「協議」が続けられています。

原告の秋保喜美子さんは、広島から片道5時間以上かけて、電動車いすで「協議」に参加しています。
 「定めたい 新制度への道しるべ」 彼女の新春ひとことメッセージです。

埼玉の原告補佐人・新井たかねさんも「協議」メンバーです。
政務官に、与党議員たちに、重度障害者の娘の育代さんを代弁し、また埼玉の原告の仲間の声を切々と訴えています。
 「すべての命が輝くために」 たかねさんの新春メッセージですが、わたしもこころからそう思います。

紅白の後の「ゆく年くる年」は、ヒロシマの寺の鐘でした。
2009年は被爆者の、そして障害者の当事者運動が、歴史の風穴をあけた年だったと鐘の音を聞いていました。

   ○●○

大雪と強風で列車は遅れに遅れたので、恒例の元旦各紙を読みました。
朝日、日経、毎日、日刊スポーツ、北國、富山、赤旗。正直、今年はインパクトが弱かったような(^^;)

ただ、二つ、印象に残りました。
朝日新聞第4部「読む」 本から本へつながり無限・大江健三郎 談
「渡辺先生、ノーマン、丸山真男さん、加藤周一、テツオ・ナジタがつながってくる脈絡とはそういうことです」
「脈絡が重なりいちばん色濃くなっている場所がぼくの『萃点』(鶴見和子の言葉)です」
これは、大江の書斎の写真とともにこころに残った。

そして、「赤旗」の谷川俊太郎「新しい年」

  新しい年が夜の闇にこだましている
  違うよ あれはただの除夜の鐘

  新しい年が水平線の向こうから上がってきた
  違うよ あれはただの初日の出

    と続き、最後に

  新しい年が平和への一歩を踏み出した
  違うよ それはただの理想

  新しい年が地球の上にやってきた
  違うよ それはきみの決意の中にしか来ない


2010年1月1日。今日からの10年は、平和と希望の21世紀を決定づける10年になるのだろう。
その決意を、ともに!


PS
昨年の『北欧考える旅』出版では、みなさんのご感想に、勇気をたくさんいただきました。
たくさんの書評は、わたしの宝物です。
  http://www.nginet.or.jp/shuppan/2009/hokuou.html
で、今度は「みんなのねがい」4月号から「フォト・エッセイ」風に、
「北欧 福祉と教育 街歩き」を連載することになりました(^_-)

では、みなさん、健康に留意して、よい年にしていきましょう!

PS2 写真は、北アルプスをてらす月