2011-09-01

ささやかな抵抗

津軽の友人から「りんご便り」が届く。
今年は10年ぶりの花不足。
そんな自然の猛威を受けつつも、深刻なのは震災後、
輸出が風評被害でまったく止まっているとのことだ。

彼のりんご園を訪ねたのはまだ娘が小さかった頃だ。
りんごの樹と土への愛情の深さに、すごく感動した記憶がある。
最近の研究では、りんごは、セシウムの体外排出にも有効とか。
彼のりんごが届く頃、今年の秋がはじまる。

   ◇◆◇

先日アメリカ東部でM5・8の地震があり、原発2基が緊急停止。翌日ペルーでM7。
幸い大きな被害はなかったようだけれど、
太平洋プレートは”ドンブラコッコ”状態のようで、イヤな感じだ。
平積みの「Newton」の別冊は、「「次」に控えるM9超巨大地震」・・・(^^;) 

そんななか、わが家の「節電」は、昨年比33%減を達成した。
けっして”節電”に協力しているわけではない。
東京電力のやり方にささやかに抵抗している感じだ。
なので、わが家の夜は北欧のように暗い。
フィルター掃除したエアコンは28度で扇風機がメイン。
便座は冷え冷え気持ちよく、
冷蔵庫は「いつの?昭和か?」というような冷凍物は大整理した。

ところがどっこいの東京電力。
日本一暑い群馬で一人暮らしをしてるお袋に電話があったのだそうだ。
「お宅は昨年より電力消費が上がっています。節電にご協力を」
気弱になっているお袋は、
「エアコンはやっぱり止めないとだめかねえ・・・」

ほんとに、東電はえげつない!
昨年は病気のオヤジをかかえ、不在のことが多かった。
電力消費の数字をみるだけなら、一人で一日生活している今年のほうが
多いに決まっている。
まったく、人を思いやる、相手を想像することができないのか! 
べらぼうめ!

   ◇◆◇

9月から新聞を変える。

中学生のとき、「読みたい!」と親に頼んで、ずっと読んできた全国紙だ。
しかし、信念というか、原発のない安心できるくらしの展望を
ジャーナリズムとして貫いて欲しかった。
これも、ささやかな抵抗だ。

この新聞の深代惇郎の「天声人語」にはずいぶん影響を受けた。
そこには教養があり、世界があった。
文章には反骨とユーモアがあり、リズムがここちよかった。

「白雲愁色」
 一匹のトンボが夏の終わりを告げるわけでない。
 一片の白雲が秋の到来を知らせるわけでもない。
 しかし、里に下りてきた赤トンボをよく見かけるようになった。
 雲の風情も夕焼け空も、今までとは違う。
 そして高校野球の終わりは、夏の終わりを告げる。
                        (S50年8月22日)

「夕焼け雲」 
 『夜と霧』の一節だ。
 囚人たちは飢えで死ぬか、ガス室に送られて殺されるという
 運命を知っていた。だがそうした極限状況の中でも、
 美しさに感動することを忘れていない。
 
 みんなは黙って、ただ空をながめる。
 息も絶え絶えといった状態にありながら、みんなが感動する。
 数分の沈黙のあと、だれかが他の人に
 「世界って、どうしてこうきれいなんだろう」
 と語りかけるという光景が描かれている。 (S50年9月16日)
               
高校から浪人時代のわたしは、季節も、きっと歴史も、
ある日突然変わるのではなくて、
静かに、しかし確実に変わる。
それをなすのは、生きている人間だと、感じることができた。

あれから35年以上が過ぎた。
80年代のバブルと90年代のその崩壊、そして格差社会拡大のなかでの3・11だ。
いま、一人一人がどんな信念を持ってどう貫くかが問われている。

駐日スウェーデン大使のステファン・ノレーンの言葉。
「スウェーデンの福祉はある日突然できたものではありません。
 1950年代から少しずつ築き上げてきたものなのです」

魯迅の言葉
「希望とは、地上の道のようなものである。
 もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」


 写真 「光が雲が走る夜明けの海」

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