2016-12-10

岩佐幹三先生のヒロシマ 2015年11月5日

今朝の赤旗コラム「潮流」

岩佐先生はイギリス政治思想史の研究者
金沢大学のOBOG会でもなんどかお話を聞く機会がありました。
あの日燃えるお母さんを見捨てざるを得なかったことが深い心の傷として生涯続いている・・・そのかなしさ
https://youtu.be/CYnq1WV2ItU

いま、ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会に全力です。
わたしも会員の一人です。 2015年11月5日
http://kiokuisan.com/

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 被爆70年。被爆者の平均年齢が80歳を超えるなか、被爆体験を次世代に継承する動きが進んでいます。「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」の取り組みも、その一つです▼あの日、原子雲の下でなにがあったのか。直接体験していない世代が継承するうえで、なにが大切か。「想像する力と、創造する力だ」。こう語るのは、同会の代表委員を務める岩佐幹三(みきそう)さん。広島で被爆し、86歳となる今も被団協の代表委員の一人として活躍中です▼もともと被爆者はいなかった。普通の人間が、戦争による原爆によって被爆者という“運命”を背負ってしまった。安倍政権による「戦争する国づくり」の“戦争”は核兵器の使用も想像され、世界のだれでも被爆者にされうる▼「16歳の軍国少年」の“運命”は苛烈です。自宅庭で後頭部をバットで殴られたような衝撃で地面に叩(たた)きつけられた、あの日。つぶれた屋根の下敷きになり血を流す母を見つけました。火の手がせまり、気が動転する少年に、母はいいました。「早(はよ)う逃げんさい」▼数日後、家の焼け跡で脂ぎった黒い物体を見つけました。母は人間としてでなく、モノとして殺された。母の表情を忘れられず、仲間と“再び被爆者をつくるな。戦争するな、核兵器なくせ”と運動をはじめました▼「継承すべきはこの被爆者運動の心だ」と岩佐さん。国民の力で“戦争するな、核兵器なくせ”の願いに応える政府に転換させられたなら、母や亡くなった仲間はむだ死にではない、と結びました。

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