『泣くのはいやだ、笑っちゃおう 「ひょうたん島」航海記』
武井博著 アルテス
「ひょっこりひょうたん島」がスタートしたのは1964年4月6日(月)5時45分。
東京オリンピックの年だからわたしは8歳。小学校2年生で、テレビの中で走るアベベを
当時、武井ディレクターは28歳~32歳。脚本の井上ひさし、山元護久さんも20代。
さらに声もすごい!
ドン・ガバチョ大統領=藤村有弘、海賊トラヒゲ=熊倉一雄、マシンガン・ダンディ=小
「ひょうたん島」には、
・スーパーマンは要らない=だれもが弱点をかかえながら、どのように協力したら生き抜
・貫かれる平等の精神ーひょうたん島の民主主義=住人は、男も女も大人も子どもも、ラ
印象的な歌もあった。
「勉強なさい 勉強なさい」
大人は子どもに命令するよ「勉強なさい」
えらくなるために
お金持ちになるために
アーアーアーアー そんなの聞き飽きた
それに対して、サンデー先生は、
「人間になるため、さあ勉強なさい!」
すごい教育論だよね(^_-)
そういえば「ひょうたん島」がはじまる前に「ものしり博士」という番組があった。熊倉
これもしっかり小学生なりたてでみてたけど、この番組の担当者もこの武井さんと知って
しかし、ほんと、当時の教育番組のレベルは時代をリードしてたなあ。しみじみ。2016年1月21日
https://www.youtube.com/
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