2016-12-09

追悼 鈴木眞幸先生

鈴木眞幸(まさき)先生が6月18日に亡くなられていたことを今朝の新聞で知った。
1931年生まれ、84歳。
九州大学法学部政治学科に学び、新聞記者として20年過ごすも体調を崩して退転。鍼灸の道を志し、1984年南浦和に東雲堂鍼灸院を開院された。

わたしが43歳、1999年の秋から2000年の春の頃、激しい睡魔に襲われる日々。二つの医療に助けを求めた。

一つが東洋医学・鍼灸だ。信頼できる先輩から紹介されたのが眞幸先生。人間的にも尊敬できる名医で、受診するまでは正直半信半疑だったが、週一回の治療によって心身共に絶望の淵から浮上できるような希望を感じた。

もう一つは西洋医学で、偶然だがファーストネームが同じ先生だった。いびきと酸素量の異常から、まだ保険適用がはじまったばかりの「睡眠時無呼吸症候群」の専門クリニックの受診を強くすすめられ、「非常に重度の睡眠時無呼吸があり」「睡眠分断が著しく、深睡眠がない」と診断された。以来、シーパップ装着での睡眠となりずいぶん改善された。

鈴木先生の鍼灸治療は、日本の鍼灸理論を徹底して極めるとともに、自身の臨床経験を理論化されたものだ。「理論から実践へ」「実践から理論へ」の典型だ。

それとわたしにとっては、新聞記者時代のとっておきの取材裏話がおもしろかった。復帰前の沖縄への潜入取材、大物政治家の台所裏事情などなど、戦後史の貴重な個人教授だった。

東雲堂の閉院は今年の5月31日。わたしは最後の患者だ。
去年の年末から2月にかけて、わたしの心身が悲鳴をあげたときも、親身になって治療してくれていた。「今日はどうですか?」の問診の最初の一声を聞いただけで元気になった。

ところが春が来て、「高齢により、鍼灸治療で大きな間違いがあってはならないから」と、貴重な専門書やさまざまな資料をみごとに始末され、閉院後はお気に入りの特別製作の机も解体するのだとさみしげに言っていた。しかし、それから18日で、亡くなられていたなんて・・・

わたしの北欧エッセイの一番の評論家でもあった。
「薗部さんの書くのは、会話文がじつにうまく使われていて引きつけるなあ。それ以上に写真がいいねえ」といつもほめてくれた。

『北欧=幸せのものさし』を贈呈すると、「なかでも冒頭の写真(ベッチーナといっしょ)はいいですね。障害者の眼の奥底を深く暖かく見つめ「あなたといっしょよ!」と語りかけるベッチーナ副施設長の表情は感動的です」と筆で感想を寄せてくれた。

たいへん残念です。さみしいです。
でも、先生の平和と民主主義の願いのバトン、つないでいきます。
こころから感謝をこめて。
合掌。
(2016年12月8日)

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