この秋、富山に住む義母(79歳)を看取った。四十九日法要を終えると、年末には群馬の親父の三回忌がやってくる。親の死に直面し、はじめて本気で死に向き合っている自分は、めっきり白髪が増えて56歳になった。
『納棺夫日記』の立山山麓の町。3年前に余命1年と言われた義母は、本人の生きる強い意志と適切な医療によって、最後の入院の前日まで、しゃんとして店で働いていたそうだ。生涯使い続けた美容師の鋏はだいぶ小さくなっていた。
人口3万の町には、誇りとしている市民病院がある。そこは県内4つの基幹病院と連携し、県立病院には、終末期医療体制があった。もちろん充分ではないけれど、この医療体制があって義母は在宅で働き続けることができた。
脳梗塞で倒れた親父の場合を思った。人口1万の町で特養の定員は50名、待機者は50名を越えていた。2度目に倒れたときは救急病院へ、転院を迫られる 「3カ月」の前には必死に探して、たまたま空いた療養型病院に移った。この国の、人間を大切にしない医療と福祉の貧困とむごさを実感したものだ。
舞台裏には、やれ戒名だ、祭壇だ、墓石だ等々お金の世界もある。けっこう深刻なのが、お墓の維持。明治以降の家族制度がベースだから、急速な核家族化に は大きな矛盾が広がっている。北欧には、教会税があり、教会という公的資源が墓を守る。ではこの国で、東京で暮らす長男・長女が、それぞれの故郷の墓をど う守っていくのか。ハムレットの心境なのだ。
それぞれの遺影は、一番良いときに私が撮った写真。ふと声を聞くことがある。人間の身体は消えていくけれど、その意志は、おもいは、それを受けとめるものたちの中でつながっていく。小さな歴史は続いていくと感じている。
全障研しんぶん12月号 シリーズ「アラウンド55」より
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