たまにお客さんが、もちろん超高齢者だが、タクシーで義母の美容室にやってくるという。
地元のタクシーだから店主はすでに亡くなっていることを知っている。
「やっとらんちゃ」と言われても、義母のいない、群馬のお袋が送った淡いピンクの蘭の花が飾ってある店の前で、しばらくたたずんでいくのだそうだ。
雪国の年老いた人たちは、しずかで、やさしい。
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大晦日は、騒がしいだけのテレビから離れて、ほろ酔いで倉本聰『倉本聰の姿勢』を読みながら除夜の鐘も聞くことなく眠ってしまった。
明けて今朝の新聞各紙。順不同で、讀賣、朝日、毎日、日経、北陸中日+東京新聞、赤旗を
目で追って、破ったものを読み返してみる。
○「TPP早期に参加を 米倉経団連会長」(讀賣)
○「競争できる環境整備を 米倉経団連会長」(日経)
日経では、電力安定が重要と「安全性が確認された原発の再稼働を進めるべきだ」。
自民党政権への期待は「自民、公明両党で衆院の3分の2を超えたが、政党同士の信頼関係を大事にかじ取りを担ってほしい」
この勢力と多くの市民との願いとが歴史的に対決するのが夏の参議院選なのだろう。
もう一つは、
○「新春対談ー明日をひらく-」玄田有史×倉本聰(北陸中日、東京)
12月の深夜のBSで、倉本聰が山田洋次監督と30分×5回の対談をしていた。
山田監督があんなに笑う対談も珍しい。すごくおもしろかった。
で、この新聞対談。
倉本「広島、長崎、沖縄、福島っていうのは日本人が忘れちゃいけない問題だし、ましてや沖縄・福島は現在進行形。自分がどこまで親身に打ち込めるか考えたい」
この人の感性に共感する。
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2013年は2012年の連続だ。新しいことが今日からはじまるわけではない。
12年は、1月5日から北欧を訪問し、とりわけデンマークのグルントヴィを手がかりに、学校にとどまらない学びの場と体制を視察し、そこに希望を感じた。
2月には裏切りの「総合支援法案」が出され、表や裏のロビー活動。
国会に上程された4月からは6月まで、雨の日も風の日も、じんじんと肌が焼ける日も国会前につどって、それぞれの言葉で、「総合福祉法実現」「自立支援法廃止」をアピールした。
官邸前の金曜日行動が大運動になるそのさきがけだったのかもしれない。
一人一人が自分の思いを自分の言葉で訴える。
みんなでシュプレヒコールする。
そしてそれを全国の仲間とインターネット中継でつなげる。
おかげで不規則な生活がたたり、体重はマイナスからプラス曲線に(^^;) 悪いのはすべて裏切った政治家だ!
夏は広島での全障研大会。2700名がつどったとともに、ヒロシマでフクシマを考え、連帯の決意を固め合ったことが嬉しかった。
その喜びと一緒に、自分のこの組織での勤続30年を感じた。すぎてみればあっという間の30年。
後半は、外は障害者政策委員会、内は組織の経営・人事。私事では義母の死。そして12月の総選挙・都知事選。
でも、本物の芸術からはエネルギーもらった。
9月の東京都美術館の工房集展
11月の山口華楊展
12月の深井せつ子個展
しかし、激動の情勢ってますます加速するみたいだ(^^;)
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この間、親父や義母、恩師や友人の死に直面して、生きること、死ぬことということを考えはじめた。人生はそんなに長いものじゃない。
そんななか、わが娘はこの春大学を卒業する。
卒論テーマは、「障害者の余暇の権利に関する一考察 ―障害者権利条約、デンマーク、日本の動向―」指導教官の丁寧な指導のたまものだが、自分の卒論を思えば、よく書けたものだ。
しかし、「何のために大学へ行くのか?」という問いに、いまならこう答えられる。
「恩師と呼べる人を得るためだ」「希望を語りあう仲間を得るためだ」
娘よ、胸を張って、社会に飛んでゆけ!
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最後に、今年の「1月5日近況ハガキ」の
元になった詩を紹介します。
みなさん、今年もよろしくおつきあいください。
「かすかな光へ」 谷川俊太郎
たとえ理由は何ひつつなくても
何の役にも立たなくても知りたがり
どこまでも闇を手探りし問いつづけ
かすかな光へと歩む道の疲れを喜びに変える。
総括シリーズ、パトリック・ガンパー
23 時間前
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