2008-06-29

「ふるさとをください」を地域で見る


きょうされん30周年記念映画の「ふるさとをください」の上映会がわたしの町でありました。人口11万ちょっとの町ですが、お母さんたちの力結集で、500人が参加。

試写会は脚本のジェームス三木や主役の大路恵美、ベンガルの取材を兼ねて、しっかりみたのですが、地域で2度目をみるというのは、なるほどそういうことなのか!と感心しました。

この作品、チャップリンやカウリスマキ監督作品のような映画ではなく、なによりもわかりやすさを徹底したものであることはわかっていたつもりでしたが、「くさいセリフだなあ」と感じたところでも、会場のみんなは泣くんです(それを感じたわたしも泣きました。けっこう涙がとまらなくなった)。
「くさいセリフ」と感じたようなことも、底のほうではほとんどが現実なんだよね・・・

スペイン語翻訳版がコスタリカで、英語版がイギリスで2度上映され、それぞれのところで「自分のところも同じだ」という感想があったと聞くけど、この映画、不思議な「共感力」を秘めたパワーある作品だなあとあらためて感じましたね。目標のすべての市町村での上映を応援したいな。

あ、音楽の小六禮次郎は(倍賞さんのダンナね)すごい才能だね。派手でなく、地味でなく、ほどよい音響を映画にしみこませてます。2度目にみると、そんな余裕のコメントも書けます(^_^)b


ところで、土曜の夜は、強引なアスベスト含有の産廃処理工場の開所めぐって反対運動を繰り広げているご町内の会主催の連続学習会の第1回(40人が参加)。

昨年、会社の説明会やら住民集会で、市議会の全会派も巻き込んで、どうしたら、自分たちの住む環境を守ることができるのか、考え合っています。

この日、けっこう年配の町内会長が、「これは住民エゴではない。孫子の問題です」と発言していたのがこころに残りました。ふるさとは、こうして、みんなでつくり、守っていくんだね。

2008-06-25

デジタル化の不安

電話とかインターネット関連の業者と障害者団体がつくる協議会が10年続いている。
古参メンバーはそれぞれ10歳年を重ねたなあとしみじみなのだが、
今日は総務省の担当課長がいたので、
気になっているテレビ放送のデジタル化と障害者の問題について質問してみた。

○デジタル化ではみんなとても不安を感じている。新聞では生活保護世帯にチューナーを配布すると報道されているが、障害者への対応はどう考えているのか?
○ケーブルテレビ利用ならばアナログテレビもそのまま見れるハズだが、そこに手はうたないのか?
○悪質な訪問販売が危惧される。不安に乗じて家庭内に入り込むことになる。対策が必要ではないか?
(悪質な訪問販売の不安は、じつはわが実家のじじばばの不安を代弁したのだ(^^;)

課長曰く
・情報通信審議会の案が了承されたところで、ほぼ新聞報道どおり。 http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/policyreports/joho_tsusin/index.html
・生活保護世帯に最低限度の機器等を無償給付する。
・ケーブルテレビ利用ならばいまのアナログテレビでも見れる。
・訪問販売の悪徳商法については広報を強め、相談体制も整備する。
(あれ?障害者は? ん? 生保世帯でくくっちゃったわけ?(^^;)

すると聴覚障害団体の代表がつっこんだ。
○デジタル化で字幕放送の拡大や義務化を期待しているが、ホテルのテレビ事情はなんとかならないか。デジタルテレビのハズが、字幕受信機能がのぞかれている。テレビは娯楽だけでなく、災害情報など必須。ホテルでなんらかの基準はできないの?

課長
・デジタルテレビでは字幕機能は標準化されている。薄型テレビでもアナログのこともあるが・・・
 (ホテルによってはアナログをケーブルで流しているところもあって、字幕がみれないこともあるとのこと)

結局、この議論、全社協の代表が、「JDFできちっと議論して、デジタル化への要望をしましょう」とまとめました。
素朴な疑問は妙に説得力のある話になることもあるんだねえ

2008-06-15

岩手・宮城内陸地震におもう

14日、朝8時43分の岩手・宮城内陸地震は、震度6強、M7.2これは大きい。

このエリアには知人友人も少なくない。
しばらく電話はつながりませんでした。
が、9時5分に仙台市内に住む友人とケータイメールで連絡がとれました。
 >心配してくれてありがとう。
 >我が家は掛け時計が落ちてきた以外は被害無しです。
 >電話が通じないので県北はどうかわかりません。今も余震が続いています。

これでひとまず一息つきましたが、一番の震源地は奥州市。
昼過ぎに、盛岡市に住む友人に電話がつながり、
盛岡では揺れたが大きな被害は聞いていないとのこと。
「奥州市のHさんとこだよなあ・・・」

しばらくして、電話が入り、奥州市のHさんの自宅に電話が通じて、奥さんと話せた。
本棚から本が落ちて、今かたずけてるところとのことだが、
Hさんは、保育所で怪我人がでたとの連絡が入って、飛び出していきましたとのこと。

阪神大震災のとき、瓦礫の街の学校で陣頭指揮をとっていた先輩たちや
養護学校で子どもたちのいのちを守っていた友人の姿がおもいうかびました。
どんなに困難なときにも、人のためにはたらける、信頼できる人間がいるということ。

夜になって、少し疲れた感じの、でもとてもやさしいHさんの声を
電話で聞くことができて安心しました。
 「いくつかの学校の窓ガラスは割れたが、まず、大事はなかった。
 テレビで見る宮城の栗駒のほうはたいへんだなあ」

2008-06-08

二度目も大泣き映画「夕凪の街 桜の国」

「カミさんは地域で6月に上映会をするのだそうだ」。と旧ブログに書いたが今日はその上映会。年配者が圧倒的に多い中で、わが娘と「息子さんですか?」とまちがわれたわが事務所の大型新人君とともに2度目の感想。

「ちょっと予想外で、完全にひきこまれました。最近のベスト1作品です」と前に書いたけど、今日は、少し冷静にとおもったけど、もうだめ。DVDを一人でみてたとき以上に、涙がとまらなかった。

1958年生まれの佐々部清監督に脱帽するのは、情感迫る映像、ハープの調べに加えて、時間、歴史の連続性のこころ憎い設定。

舞台は昭和33年の広島とそれから50年後の東京と広島。被爆後13年という時間と、それから50年という時間の設定は、被爆時と現在とを連続的なもの、つながっているものとしての感覚をうみます。これがいっきに戦後63年だと、現在と「過去」になってしまって、つながりが感じられなくなっちゃう。それが13年、そして+50年という時間設定で、被爆者と今のわたしとがリアルにつながるんですね。
これは、わたしの確信となりました。

参加者は、あああんなリヤカーあったねえ、そうそうトタン屋根は雨漏りがしてさ、雨が降る軒下でもアリと遊んでた・・・などなど、63年前の広島はなかなかリアルさを感じないけれど50年前のこの国の空気はわがこととして感じられる。

さて映画。昭和33年。「もはや戦後ではなく」、東京タワーは建ち、高度経済成長の前夜。「新しい市民球場ができた」と喜ぶ広島の真ん中を流れる太田川。その川にせり出したバラックの長屋には「不法占領禁止」の立て看板が見える。

防火用水を見ると思わず手を合わせてしまう皆実(麻生久美子)は、母親(藤村志保)と二人で暮らしている。父と妹は被爆直後に亡くなり、疎開していた弟(伊藤充則)は水戸で養子になった。

夕焼けを見た皆実(みなみ)は自問する。「きれいだな。楽しいな」と感じていいんか。「この世におってもいいんかね」。そんな彼女に恋が。「生きててくれてありがとう」と彼は言ってくれた・・・でも、原爆症の発症。

それから50年後。見覚えのある電車と思ったら西武線の「恋ヶ窪」駅だ!定年退職した弟(堺正章)は元気いっぱいの娘の七波(田中麗奈)と小さい頃喘息発作に苦しんだ小児科医の息子(金井勇太)と暮らしている。

ある日、一人ないしょででかけていく父をつけると、七波も広島に行き着いた。そこで祖母(藤村)、伯母(麻生)、そして胎内被曝児で軽い知的障害のあった母(栗田麗)へと思いをめぐらせる・・・

「昭和33年を懐かしく感じられる人も、老いも若きも、同時代に生きているものの感覚で共感が広がります」と書いたけど、会場からはもうすすり泣き続出で、みんな感動。
娘は「今日は予備校でも、なんか気がつくとずっとため息ばっかりしてるんだけど」。会場係をしていたカミさんは、一番後ろの席で号泣していた模様。

この1週間。「一日も早く原告全員の認定を」と原爆認定集団訴訟が「切り捨てから救済へ」と国を大きく変えようとしている。
みんな、「生きててよかった」と歴史に刻みたいのだとおもう。

2008-06-06

ハンガリー1956

早稲田松竹で6日までの上映と知って、仕事が終わると事務所から飛び出してみた。
「君の涙 ドナウに流れ  ハンガリー1956」
 http://www.hungary1956-movie.com/
2007年11月の上映。配給はシネカノンだから、まず外れない。なによりも、1956年はわたしの生まれた年。同時代史を知らねばならない。

あらすじは、1956年10月、ソ連支配下、秘密警察AVOが暗躍するハンガリーの首都ブダペスト。
改革を求め学生運動に身を投じる女子学生ヴィキと、メルボルン・オリンピック出場を目前にした水球チームの花形選手カルチが出会う。
政治に無関心だったカルチも、AVOや軍の横暴に傍観者ではいられなくなる。
同時にヴィキを愛するようになったカルチ。
2週間の闘いでソ連・戦車は一度は引き揚げたかのようだったが・・・
オリンピックでのソ連との水球での壮絶な闘いとブダペストでの市街戦。
またまた2時間ちょっとがあっという間でした。

そういえば5日は、わたしの敬愛する和歌山のひとの84回目のバースデイ。
彼女は17歳のときから、
愛する人を戦場に送り出してしまった軍国女学生だった自分とずっと闘い続けている。
同時代史は壮絶だ。