2013-03-30

卒業旅行

「あざみ」は滋賀・石部町(現・湖南市)にあります。

近江学園の知的障害のある年長女子の職業指導施設として糸賀一雄の「私塾」としてはじまり、昭和44年知的障害者の入所授産施設の「もみじ」とともに、入所更生施設として再出発しています。

石原繁野さんは、インカの織物などに学びながら、あざみ工房の30人の寮生たちと、働く力をタテ糸に、仲間とのきずなをヨコ糸にして「あざみ織」を織ってきました。

今年の年賀状に、「老いと共に織物作業の持つ力 やってみたかったけれど、自分の老いで、できないのが残念。でもみんな仕事が大好きです。関西に来られたらぜひ我家に来てください」と添え書きがありました。

「あざみ織」は、私たち夫婦の結婚式参加者へのお礼の贈り物です。
1987年の春にあざみ寮を訪ね、石原さんのお宅に泊まらせていただいて、工房のみんなのことを一晩中語ってくれた想い出があります。
あれから26年。
その数年後授かった娘は、この春から埼玉にある入所施設で働きはじめます。

「あざみ」を訪ね、娘と一緒に繁野さんの話を聞きたい。そして、それは、巣立ちゆく一人娘との家族の「卒業」旅行でした。

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だれもが老いる。
でも、障害があれば、医療や介護は極めて大きな課題となる。どう死とむきあうか。

ある時のあざみ寮の小旅行。
東大寺に宿泊し、国立博物館で「死ぬことはこわくない」という話を聞いたそうだ。

西山厚『仏教発見!』 講談社現代新書、序章を参照ください。

 : 死ぬことはこわくない。先に亡くなった一番大切な人にまた会えること。
 : お釈迦様の涅槃図には、お釈迦様を産んで7日目に亡くなったお母さんが
 : 迎えに来てくれた。
 : 大事なのは、その時まで生き切ること。
 : 素敵なみやげ話をたくさん持って行くために、その時まで精一杯生き切るのだ。
 
あざみのみんなは「大好きなお母さんが来てくれる」ところで、大いに感じるものがあったようだ。

 : 思い出すとき、死んだ人は心の中で蘇る。
 : 死んだ人は、その人のことを思い出す人がいなくなった時、
 : 二度目の、そして本当の死を迎える・・・

あざみ寮の部屋のピアノの上には、亡くなった人たちの写真があった。

「楽しかったこと。嬉しかったこと。
 あざみ織や絵画展も、寮生みんなが出演した「ロビンフッドの大冒険」もみんなで共有してきた、そんな楽しい想い出を、共感しあいながら迎えられる死。それと向きあうことが、生きている限りのわたしの役割なのかな」
と繁野さん。

「あざみ」のみんなの平均年齢は59歳(21~83歳)。「もっと勉強したい」「なかまのため、人の役にたちたい」とみんな言っているそうだ。
そして、「みんながいるとき、また来てね!」「今度は、ゆっくり来てね!」

信頼できる仲間がいるしあわせ。人は仲間のなかで発達する。