2008-05-30

『立岡晄 共同作業所のこころと実践』 

5月28日には、きょうされんの全国総会で、こんなアピールをしました。
なんというか、こころからとってもいい本だよ!といいたかったのです。
(その訴えたかった 全文(^^;))
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権利条約をめぐっての動きですが、26日の月曜日、政府(厚労省)との意見交換会が開かれ、NGO側34名が参加。わたしもその一人でした。そのやりとりのなかで、
ある係長がこんなことを言いました。

自立支援法の考え方、理念は「安心して暮らせる社会」。この理念方向は権利条  約の理念と共通している。 (だから)自立支援法の理念の普及、定着が大事

えーー! うそーーー!でしょ。
こういうのを黒を白という、とんでもない議論ですよね。

じゃあ、権利条約の理念はなにか!
じつは私たちのつみあげてきた実践が、その羅針盤ですよね。
その一つの集大成が、この本『立岡晄 共同作業所のこころと実践』なんです!

月刊「みんなのねがい」連載時(2007年度)には、
「一番先に読ませてもらっています」「たいへん励まされます」
と共感の声がたくさん寄せられました。

文章は、具体的でわかりやすく、仲間の顔が見えてくるようで、
その言葉の背景には、とても深い立岡さんの思想と実践があったからなんです。

そして、単行本では4つのバージョンアップをしています!
1)なによりも仲間の姿から実践を語るように再構成し、
 プロカメラマン・豆塚猛さんの写真も多数掲載しました。
2)糸賀一雄、田中昌人さんらにつらなる「福祉の思想」の実践者である立岡さん。
 その盟友・加藤直樹さん(立命館大学名誉教授)との「対談」で、
 実践の位置づけとその意味を研究的にも浮き彫りにしました。
3)きょうされん結成30年の視点から藤井克徳きょうされん常務理事に、
 もう一つの「きょうされん物語」として寄稿してもらった。
4)「この子らを世の光にできる地域づくりを」の原点となった、
 最重度といわれた信明さんとの作業所での日々を「補章」として書き下ろしています。
これらが、何層にもわたって、立岡実践と思想を感動的に表現することに成功しているのです。

毎日が厳しく苦しい時代となっています。
でも、「共同作業所はいのち太らせるところ」と障害のある仲間たちとともに、なによりもその願いに学びながら、 大きな夢を語り、地域に打って出て、まさにマイナスをプラスに変えてきた立岡実践。
そこからは、明日の活動に勇気をもらい、希望を持つことができるのではないでしょうか。

でも、そんな「スーパーマン」でも疲れることも、悩むこともあります。
そんなときは薬師寺の塔を何時間も見上げるのだそうです。

「明日が見えてくるような実践を集団の中でつくりたい。一人ぼっちは絶対だめなんです」
「生まれて来てよかったと言える働く場、暮らす場、憩う場など自立できる地域社会をつくりたい」

私はこの本を担当者として編集できて本当に嬉しいのです。

2008-05-15

ここはどこ?


ここはどこ?
ノーヒントゲーム!

2008-05-13

映画「光州5・18」はすごい!

すごい映画だ。2時間があっという間で、涙をぬぐうことも忘れた。

1980年5月18日から10日間。
韓国・光州市では軍事クーデター政権の下、
民主化を求める学生・市民(20万人を越えるデモ)に対して、
2万5千の軍隊が、一斉射撃、機銃掃射など徹底弾圧を加えた。
死者は2000人ともいわれるが、当局は「市民に被害なし」として、
この事件が政府により公式に「謝罪」されるのは8年後だ。

その圧倒的な事実を下に、
映画は、ささやかな暮らしを営むタクシー運転手の気のいい兄
(キム・サンギョン)と
ソウル大法学部をめざす出来のいい高校生の弟(イ・ジュンギ)の
二人兄弟と、兄が淡い恋心をよせる看護婦(イ・ヨウォン、抜群!)と
退役軍人の父(アン・ソンギ、渋い!)などフツーの市民が主人公だ。

5月のある日から、戒厳令に反発しデモに参加した弟は狙撃され、
ノンポリの兄は銃をとり市民軍に参加する。
そこで彼女と市民軍の代表となった父と共に闘う。
彼女はラスト近くで夜明け前の街で訴える。
「私たちを忘れないでください。私たちは最後まで戦うつもりです」

80年の5月、自分は北陸の街で何をしていたろうか。
同じ頃に隣の国で、こうしたすさまじい事件が起こっていた・・・

すごい!とあらためて思ったのは、監督は71年生まれ。
彼自身が知らないことを自覚し、今とつなぐことに努力したこと。
そして、その作品は740万の圧倒的な韓国の人たちが見たということだ。
それと、巻き込まれ撲殺された知的障害者や
行方不明になった息子を捜し続ける目の不自由な母など、さりげなく織り込んでいたこと。

ラストは・・・ 嗚咽をこらえるだけだった・・・
私は忘れない!

5月10日より新宿ガーデンシネマ(スロープないぞ!)、シネカノン有楽町など

2008-05-12

わけあって引っ越しました


新ブログを開設しました。

シンプル・イズ・ベストのわたしのライフスタイルに似たブログってことで
よろしくおつきあいください。

昔のブログは、書き込みはできないように設定し
(そしたらみなさんからの貴重な書き込みも読めなくなってしまいましたが(;_;))
しばらく閲覧可能としたいとおもいます。

写真は、5月4日の剱岳です。

2008-05-10

わたしのふるさと -沼は消えた-

わたしの故郷は、利根川と渡良瀬川に挟まれた、
小さな湖沼の多いところだ。

からっ風のふくなか、川や沼に漁にでて、
ふなを捕り、なまずをとって貴重なタンパク源にした。
その名残りが田山花袋の小説『田舎教師』に
川向こうの板倉沼でとれた雑魚を漁師が売り歩いてくる
という場面がある。
足尾の鉱毒で有名な田中正造の旧谷中村(現在・渡良瀬川遊水池)はその東北部に接している。

友人がC型肝炎でふせっていると聞いて、5年ぶりぐらいに彼の家を訪ねた。
彼の家は、小さな沼のほとりの一軒家だった。

高校の頃、彼の家によく仲間があつまり、
隣の家を気にすることなく、わいわい語り合ったものだ。
夏は沼をわたってくる風がここちよかった。
その沼が消えていた。

彼のいうことには、その沼の地権者がある日その沼を売った。
するとある日からどこから来たのかわからないダンプカーがあふれ、
産業廃棄物らしものを捨て、沼を埋め始めた。
彼の家の隣の沼はあっというまもなく埋め立てられ、
北側の隅のみがまだ沼であったことを示していた。

沼を渡ってきた風は二度と吹かず、カエルのなく声も、
釣り糸をたれればとれた魚も、いまはいない。
それだけでなく、どこから運び込まれたかもわからず、
どんな内容かも知らされない産業廃棄物が、
ある日から、家の隣に埋められ、
それは時とともに地中にしみこみはじめる。

彼の娘は春に3キロ北の小学校に入学する。
入学者は20人で一学級だという。
通学路には、2年後の開校めざして
某私立大学の大工事が本格的にはじまり、
数十台のダンプが走り回る。

そのわきを、頭に小さなヘルメット、
学校指定のおきまりの揃いのジャージを来て、
赤いランドセルが歩いていく。
(1994年1月4日)