2011-03-26

街の灯り

もどりたった品川駅は北欧の田舎町のように暗い。
数時間前の、眩しく、人のメチャ多かった京都には異国を感じた。
たしかに、駅前のビックカメラにも乾電池は無かったが。

超弩級マグニチュード9の東日本を襲った大地震、
それによる信じられない大津波。
そして、今も続いている最大の人災・原発群の大事故。
被災者・避難民は空前の60万人をこえている。

東京でさえ、ケータイからの不気味な地震速報に怯える日々。
ガソリン求め日に日に伸びる長い渋滞。
いつ起きるかわからない「計画停電」。
いつ途中で止まるかわからない「公共交通」。
この週末からは、放射能汚染の野菜や牛乳・・・
「ただちに健康に影響が出るわけではない」といわれても、
(そのうち影響が出るってことだね)と聞こえてしまう。

3月11日午後2時46分の前と後で、簡単に歴史は変わってしまった。
ペナペナのボール紙でつくったような張りぼての世界にいたことを、
頭はまだ納得していなくても、身体は感じている。
そして、今日の東京は不気味な雨が降っている。

  ◆◆◆

日曜日、夜明け前の法然院から、朝日の中の哲学道を歩いた。
桜にははやく、ミツマタが春の訪れをつげている。











街はまだ眠っている。
みずおと、うぐいすの声。

法然院の貫主はわたしと同い年だ。
彼は、
  「自然と人間の共生」という言い方は止めていただきたい。
  人間は自然の現れです。
  自然とは目に見える生き物のことではなく、
  いのちの支え合いのしくみのことです。
と言う。
そして、
  日々、善悪ではなく損得で生きている私ですが、
  心に余裕のある時には他のいのちが安らかに生きられることを
  願い慈悲を実践したく存じます。

 ◆◆◆

被災地の中で、自分も被災しながらも、
必死で学校を守っている仲間がいる。

なるほど、こどもたちには笑顔が必要だと、
大型紙芝居やカルタをつくる先輩がいる。

過酷な日々の中でも、ユーモアを忘れない彼や彼女がいる。

ついさっき、こんなメールが届いた。
  福島の現地にいると、不安から、テレビとラジオを付けっ放しにして、
  なんとか情報を掴もうと焦ってしまいます。しかし、聴けば聴く程、
  見れば見るほど不安が増幅して行きます。何が本当なのか?
  こうやって送信して頂いているメールがめげてる気持ちを強く!強く!!
  支えてくれています!!!

鹿児島から、京都から、長野、新潟、東京、埼玉と
この半日の間だけでも、ものすごい意志による救援募金運動がすすんでいる。

一つ一つのメールに返事は出せていませんが、手を合わせています。
ありがとう、本当に。
そして、共に、いっしょに、がんばっていきましょう。
 (3月20日夜 TOKYO)

2011-03-01

お互いさま

父を看取った。78歳。

2006年に脳梗塞で倒れ、片マヒに。
「字が書きたい」願いは懸命のリハビリで叶うも、
昨年春頃から衰えがすすみ、
お盆すぎには一人で立ち上がれなくなった。
秋からは、唯一空きのあった介護型療養病院で過ごしていた。

障害者権利条約のドンマッケイ議長は、
「平均寿命70歳を越える国の人々は、平均8年間、
人生の11.5%は障害をもちながら過ごす」と講演した。
日本の場合、そのうちの要介護期間は男1.5年、女3年と聞く。

それは長いのか短いのか。

いずれにしても、誰もが生まれてから死ぬまで、
誰かに支えられ、誰かを支える。
けっして一人ではない「お互いさま」の関係がある。

ところが、介護型病床は13万床からゼロが決定されている。
反対運動で6年延長となったものの、
「高齢者集中型から全世代対応型へ」は社会保障改革の大路線だ。

現在の検討本部室長は、自立支援法審議で
「福祉は買うもの」「それが新しい福祉の考え方」と国会答弁
した中村秀一社会・援護局長(当時)。
高齢者と障害者の問題はここでもつながっている。

障害は「自己責任」。
「トイレに行く、外出するなど日常行為を支援すること」は「益」。
だから「利用料」を払って当然。
扶養は家族に義務がある・・・。

この考えのもとに制定された障害者自立支援法は、
猛烈な反対運動と世論によって否定され、
違憲訴訟団は「基本合意」を政府と交わした。

これは障害者だけでなく高齢者や子育てにもつながる
「福祉の思想」の転換だった。
社会的な困難は、個人や家族の責任ではなく、社会全体で支える。
それは「お互いさま」だからだ。

「人間としての尊厳を深く傷つけたことに対し」
「障害者及びその家族に心から反省の意を表明する」と合意文書。

制度改革推進会議は、この基本合意と権利条約をうけてスタートした。
そして、その第一歩の障害者基本法抜本改正案が大詰めをむかえている。

逆風のなか、
生きることの絶対的価値、
人間の尊厳を守り抜く過去から未来につながる長い道のりを、
私たちは歩んでいる。

PS 写真は、昭和31年頃のオヤジ、お袋、そしてわたし