もどりたった品川駅は北欧の田舎町のように暗い。
数時間前の、眩しく、人のメチャ多かった京都には異国を感じた。
たしかに、駅前のビックカメラにも乾電池は無かったが。
超弩級マグニチュード9の東日本を襲った大地震、
それによる信じられない大津波。
そして、今も続いている最大の人災・原発群の大事故。
被災者・避難民は空前の60万人をこえている。
東京でさえ、ケータイからの不気味な地震速報に怯える日々。
ガソリン求め日に日に伸びる長い渋滞。
いつ起きるかわからない「計画停電」。
いつ途中で止まるかわからない「公共交通」。
この週末からは、放射能汚染の野菜や牛乳・・・
「ただちに健康に影響が出るわけではない」といわれても、
(そのうち影響が出るってことだね)と聞こえてしまう。
3月11日午後2時46分の前と後で、簡単に歴史は変わってしまった。
ペナペナのボール紙でつくったような張りぼての世界にいたことを、
頭はまだ納得していなくても、身体は感じている。
そして、今日の東京は不気味な雨が降っている。
◆◆◆
日曜日、夜明け前の法然院から、朝日の中の哲学道を歩いた。
桜にははやく、ミツマタが春の訪れをつげている。
街はまだ眠っている。
みずおと、うぐいすの声。
法然院の貫主はわたしと同い年だ。
彼は、
「自然と人間の共生」という言い方は止めていただきたい。
人間は自然の現れです。
自然とは目に見える生き物のことではなく、
いのちの支え合いのしくみのことです。
と言う。
そして、
日々、善悪ではなく損得で生きている私ですが、
心に余裕のある時には他のいのちが安らかに生きられることを
願い慈悲を実践したく存じます。
◆◆◆
被災地の中で、自分も被災しながらも、
必死で学校を守っている仲間がいる。
なるほど、こどもたちには笑顔が必要だと、
大型紙芝居やカルタをつくる先輩がいる。
過酷な日々の中でも、ユーモアを忘れない彼や彼女がいる。
ついさっき、こんなメールが届いた。
福島の現地にいると、不安から、テレビとラジオを付けっ放しにして、
なんとか情報を掴もうと焦ってしまいます。しかし、聴けば聴く程、
見れば見るほど不安が増幅して行きます。何が本当なのか?
こうやって送信して頂いているメールがめげてる気持ちを強く!強く!!
支えてくれています!!!
鹿児島から、京都から、長野、新潟、東京、埼玉と
この半日の間だけでも、ものすごい意志による救援募金運動がすすんでいる。
一つ一つのメールに返事は出せていませんが、手を合わせています。
ありがとう、本当に。
そして、共に、いっしょに、がんばっていきましょう。
(3月20日夜 TOKYO)
2011-03-01
お互いさま
父を看取った。78歳。
2006年に脳梗塞で倒れ、片マヒに。
「字が書きたい」願いは懸命のリハビリで叶うも、
昨年春頃から衰えがすすみ、
お盆すぎには一人で立ち上がれなくなった。
秋からは、唯一空きのあった介護型療養病院で過ごしていた。
障害者権利条約のドンマッケイ議長は、
「平均寿命70歳を越える国の人々は、平均8年間、
人生の11.5%は障害をもちながら過ごす」と講演した。
日本の場合、そのうちの要介護期間は男1.5年、女3年と聞く。
それは長いのか短いのか。
いずれにしても、誰もが生まれてから死ぬまで、
誰かに支えられ、誰かを支える。
けっして一人ではない「お互いさま」の関係がある。
ところが、介護型病床は13万床からゼロが決定されている。
反対運動で6年延長となったものの、
「高齢者集中型から全世代対応型へ」は社会保障改革の大路線だ。
現在の検討本部室長は、自立支援法審議で
「福祉は買うもの」「それが新しい福祉の考え方」と国会答弁
した中村秀一社会・援護局長(当時)。
高齢者と障害者の問題はここでもつながっている。
障害は「自己責任」。
「トイレに行く、外出するなど日常行為を支援すること」は「益」。
だから「利用料」を払って当然。
扶養は家族に義務がある・・・。
この考えのもとに制定された障害者自立支援法は、
猛烈な反対運動と世論によって否定され、
違憲訴訟団は「基本合意」を政府と交わした。
これは障害者だけでなく高齢者や子育てにもつながる
「福祉の思想」の転換だった。
社会的な困難は、個人や家族の責任ではなく、社会全体で支える。
それは「お互いさま」だからだ。
「人間としての尊厳を深く傷つけたことに対し」
「障害者及びその家族に心から反省の意を表明する」と合意文書。
制度改革推進会議は、この基本合意と権利条約をうけてスタートした。
そして、その第一歩の障害者基本法抜本改正案が大詰めをむかえている。
逆風のなか、
生きることの絶対的価値、
人間の尊厳を守り抜く過去から未来につながる長い道のりを、
私たちは歩んでいる。
PS 写真は、昭和31年頃のオヤジ、お袋、そしてわたし
2006年に脳梗塞で倒れ、片マヒに。
「字が書きたい」願いは懸命のリハビリで叶うも、
昨年春頃から衰えがすすみ、
お盆すぎには一人で立ち上がれなくなった。
秋からは、唯一空きのあった介護型療養病院で過ごしていた。
障害者権利条約のドンマッケイ議長は、
「平均寿命70歳を越える国の人々は、平均8年間、
人生の11.5%は障害をもちながら過ごす」と講演した。
日本の場合、そのうちの要介護期間は男1.5年、女3年と聞く。
それは長いのか短いのか。
いずれにしても、誰もが生まれてから死ぬまで、
誰かに支えられ、誰かを支える。
けっして一人ではない「お互いさま」の関係がある。
ところが、介護型病床は13万床からゼロが決定されている。
反対運動で6年延長となったものの、
「高齢者集中型から全世代対応型へ」は社会保障改革の大路線だ。
現在の検討本部室長は、自立支援法審議で
「福祉は買うもの」「それが新しい福祉の考え方」と国会答弁
した中村秀一社会・援護局長(当時)。
高齢者と障害者の問題はここでもつながっている。
障害は「自己責任」。
「トイレに行く、外出するなど日常行為を支援すること」は「益」。
だから「利用料」を払って当然。
扶養は家族に義務がある・・・。
この考えのもとに制定された障害者自立支援法は、
猛烈な反対運動と世論によって否定され、
違憲訴訟団は「基本合意」を政府と交わした。
これは障害者だけでなく高齢者や子育てにもつながる
「福祉の思想」の転換だった。
社会的な困難は、個人や家族の責任ではなく、社会全体で支える。
それは「お互いさま」だからだ。
「人間としての尊厳を深く傷つけたことに対し」
「障害者及びその家族に心から反省の意を表明する」と合意文書。
制度改革推進会議は、この基本合意と権利条約をうけてスタートした。
そして、その第一歩の障害者基本法抜本改正案が大詰めをむかえている。
逆風のなか、
生きることの絶対的価値、
人間の尊厳を守り抜く過去から未来につながる長い道のりを、
私たちは歩んでいる。
PS 写真は、昭和31年頃のオヤジ、お袋、そしてわたし
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