2008-08-19

多磨全生園で考えた


ハンセン病は、非常に感染力の弱い「らい菌」による感染症の一種。
感染しても発病することは稀で、現代の生活環境ではほとんど発病しない。
戦争中の1943年にアメリカで治療薬の有効性が確認され、確実に治る病気となった。

でも、すべての患者を強制隔離した「らい予防法」が廃止されたのはつい最近、
1996年(平成8年)のこと。
なぜ、膨大な長い時間、強制隔離政策は続けられたのか。

多磨全生園(たま ぜんしょうえん)を訪ねました。
東京の北西、東村山市青葉町にある総面積35万平方メートルの国立のハンセン病療養施設。
西武球場のある所沢市の東隣。わたしの町の西隣だ。
散歩中の宮崎駿監督と付近のラーメン屋で遭遇したことがある。
(宮崎駿「全生園の灯火」『折り返し点1997~2008』岩波書店は必読のコラム)

正門から入って事務本館、治療棟を抜け、園の中央近い入所者自治会室に会長さんを訪ね、
中央集会所で行われる「障害者・患者9条の会3周年記念シンポ」を打ち合わせた。
9条の会事務局の障都連事務局長の市橋さんが案内役だ。

わたしは10年ほど前、それは見事な大きな桜の木の下のお花見の席に
おじゃませさてもらったことがある。あれから、園の森は変わっていない。

シンポジストのお一人、元自治会長の平沢保治さんが介護体制のあるセンター管理棟で
奥様といっしょに暮らしていると聞いて、おじゃましたが、
あいにく隣の治療棟で治療中とのことですれ違ってしまった。

平沢さんなど80歳をこえた元患者さんの多くは、
戦争が始まる頃、家に踏み込まれ、各地の療養所に強制収容された。
映画「砂の器」の世界だ。

その根拠となる「らい予防法」は、1931年(昭和6年)、満州事変の年に制定されている。
十五年戦争のはじまりの年だ。
掲げられたのは「民族浄化」「終生隔離」「患者撲滅」。
翌32年台湾で、35年朝鮮で同法は公布される。
ヒットラーの思想と共通する、この意味するものは何か。
「予防法」と「戦争」は不可分の関係にある。
そして、この国が行った強制隔離政策が、
ハンセン病患者や家族、関係者への差別、偏見を生んだ。

 ○親やきょうだいと一緒にくらすことができない
 ○実名を名乗れない
 ○結婚しても子どもを産むことが許されない(断種は1992年平成4年まで続いたという)
 ○死んでも故郷の墓に埋葬してもらえない

真夏の太陽は照りつける。
蝉の音はアブラゼミで、まだツクツクボウシではない。
でも森からやさしい風が吹いてくる。

この「人権の森」を会場に、9月6日(土)
(午前の国立ハンセン病資料館ツアーには自治会から語り部さんも同行!)、
障害者・患者9条の会が「人権と平和を考える」記念集会を開く。

少し交通アクセスは悪いですが、ぜひ、おはこびください。
ごいっしょに、人権を考え、平和の決意をこころに刻みましょう!
詳しくは
 http://www.nginet.or.jp/9jo/index.html

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